NIBフロントライン

山形ピッグファーム社長
阿部秀顕氏
阿部秀顕氏
【インタビュー】
 -業界の現状と自社の取り組みは。

 「豚肉を取り扱う居酒屋やレストランなど外食産業向けは、新型コロナウイルス感染拡大による営業自粛の影響を受けている。一方、巣ごもり需要もあってスーパーなど家庭向けについては好調だ。人間は食べることをやめない。食の大切さ、それに携わる私たちの職業の存在意義を感じているところだ。またコロナを巡って、当社は中国とベトナムから外国人技能実習生を受け入れているが、母国に帰った後、日本に再入国できないといった影響を受けている」
 「(山辺町産の飼料用米で育てた豚肉ブランド)舞米豚(まいまいとん)の販売がスタートしたのは2009年。舞米豚は地域循環型の農業としていろいろな意味でエコな部分がある。豚がコメを食べ、その豚を人間が消費する。豚のふんを堆肥として活用して田んぼにまき、そこからコメを収穫する。SDGs(国連の持続可能な開発目標)の観点でも大きな可能性を秘め、他社でも動きがあるように、豚のふん尿を利用したバイオガス発電は脱炭素につながる。豚を起点に、その力をフルに生かせればSDGsの目標達成に貢献できると思う。舞米豚に関連した野菜、果物も栽培するなどしながら持続可能な社会づくりに努めたい」

 -求める人材は。

 「地域を笑顔に、食べて喜んでいる人を笑顔に、社員も笑顔で-が会社の理念。山辺のことが好きで、このような会社の理念を共有できる人を求めている。社員の平均年齢は43歳で、若手もいて新人研修会に力を入れている。外国人技能実習生も含め、働きやすい環境づくりが重要だと考えている。地域と連携しながら豚肉のうま煮やみそ漬け、フランクフルトなどの商品を売り出しているが、やりがいが生まれるなど社員教育の上でもプラスの効果があり、取り組みを進めていきたい」

 -影響を受けた人物は。

 「昨年亡くなった父(秀俊さん)の存在は大きく、尊敬している。たくさんの失敗もした父だが、会社の事業規模をここまで拡大した。豚肉の生産という本業を重視した経営の大切さを教わった」

 ★阿部秀顕氏(あべ・ひであき) 岩手大農学部卒。1993年に家業の山形ピッグファームに入り、翌年から1年間、アメリカで豚の飼育技術に関する研修を行った。専務などを経て2011年に2代目となる社長に就いた。山辺町出身。50歳。

 ★山形ピッグファーム 初代の故阿部秀俊さんが1965(昭和40)年に創業した。88年に社名を変更し、法人化。山辺町と東根市に計三つの農場を構える。山辺町特産の舞米豚は、町内の農家が作ったコメを飼料に年間約1万頭を出荷。全ての豚を合わせて5万頭を出荷する。社員数40人、資本金1千万円。本社は山辺町根際249。

【私と新聞】農業巡る国の施策注視
 阿部秀顕社長は毎朝、山形新聞や業界紙に目を通すのを日課としている。豚の飼育を巡っては幅広い視点での情報収集が欠かせず、飼料となるトウモロコシの相場、ガソリン価格などの動向を注視するように心掛けている。
 山形新聞には幼い頃から親しんできた。「地元の専門紙。県内で何が起こったかを把握しないと後れを取ってしまう」と役立てている。県中小企業家同友会に所属していることもあって、仲間の企業の話題が新聞に掲載されると励みになるという。注目しているニュースは新型コロナウイルスの感染状況をはじめ、最近では自民党総裁選など政治に関する話題。農業を巡る国の施策がどのように展開されるかを注視している。

【週刊経済ワード】自動車の減産
 「産業のコメ」と呼ばれる半導体の調達難で、国内大手自動車メーカーが減産を強いられている問題。デジタル化の進展に加え、新型コロナウイルス流行によるパソコンやゲーム機などの巣ごもり需要のため幅広い業種で半導体の争奪戦になっている。さらに東南アジアでコロナ感染が再拡大し、現地に集積している部品工場が操業停止。自動車メーカーは部品不足に陥り、苦境が深まっている。
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