NIBフロントライン

ヤマケン社長
庄司亨氏
庄司亨氏
【インタビュー】
 -業界、自社の現状は。

 「浴室やトイレを見ても分かるように、快適さを追求した新商品が次々とメーカーから出されており、お客さまにリフォームを含め快適な生活の提案をしている。新生活館は、消費者に直接PRできる場でもある。住まいは、人が生きていく上で必要不可欠な場所。新型コロナウイルス禍で巣ごもりを余儀なくされ、その重要性は以前より増している。よりよい生活をしてもらうため、メーカーと関係を密にし、最新の情報を仕入れて届ける努力を続けてきた」

 「取り付け工事を含めてエアコンを直接消費者に販売する部門は、巣ごもりや猛暑で好調だ。一方、米国や中国での需要の高まりを受けた世界的な建築木材の不足と価格高騰は懸念材料。秋以降は入荷どころか価格の動向も読めないため、契約ができない。住宅着工に影響が出るのではないか。建物の建設業界全体では職人不足が深刻な問題だ。タイルや屋根の防水シートを張る職人も後継者がいない。当社は70代以上の職人の方々に、できる範囲での仕事をしてもらうことでカバーしている」

 -求める人材は。

 「素直で積極性のある人。扱う商品が数千あり、新商品も続々登場する。商品知識を吸収するには素直さが大切。また、既存のお客さまとの取引だけでは先細りになる。新規開拓のためには積極性が必要だ」

 -最も影響を受けた人物と、その教えは。

 「2代目社長で義父の彦一だ。私は自分の考えを社員に伝え、『おれについてこい』というようなやり方をしていた。しかしある時、義父から『みんなの意見を聞いて、それぞれの良いところを伸ばして、責任者として仕事を任せていくことが大事だ』と言われた。実際、義父はそうやって会社を大きくしてきた。それからは自分の姿勢を変えた。社員の話を聞き、任せてみる。人材育成にもこの姿勢で当たっている。人は必ず失敗する。しかし七転び八起きが大事だと見守る。責めても仕方がない。失敗から学び、努力して挽回すればいいんだ」

 ★庄司亨氏(しょうじ・とおる) 専修大経済学部卒業後、都内の商社、仙台市の住宅設備販売会社に勤務。ヤマケン2代目社長の彦一氏(故人)の長女と結婚した翌1975(昭和50)年、入社。88(同63)年に専務、2012年に4代目社長に就任。グループ社の山建設備、山建工業の社長も兼務。山形市出身。74歳。

 ★ヤマケン 1948(昭和23)年、山形市下条町に山形建材として創業。78(同53)年、現在地に社屋を建設し移転した。社名は山建を経て84(同59)年から現名称。台所や浴室、トイレなど住宅設備の販売・工事、各種ボード、断熱材、外装建材などの販売が主力。LIXIL(リクシル)、TOTOの代理店。以前本社があった同市北町には、消費者に直接、快適な生活を提案する場としてホームセンターヤマケンや増改築専門店・新生活館を開く。米沢、酒田市と仙台、秋田、福島、いわき市に支社、営業所を展開。資本金5千万円。社員数約120人。本社所在地は同市流通センター3の8の1。

【私と新聞】足元の情報こそ大切
 庄司亨社長は地域の話題や、お出掛け先の情報を得る手段として、季節感を感じる手段として、山形新聞を活用している。自宅と会社で毎日隅々まで目を通す。
 残雪の飯豊連峰を背景にした飯豊町中津川地区の白川湖の水没林を紙面で見て家族と出掛けたり、名月の写真を見て、日課としている夜の散歩中に空を見上げたり。山形市出身だが、若い頃に米沢支社を立ち上げた経験から、置賜地域の情報も懐かしんで読んでいる。
 重宝しているのが、本紙記者が各地の飲食店の自慢の一品を紹介する連載「この店この味」。新型コロナウイルス感染拡大前は毎月1回、各支社や営業所に足を運び、社員らと食事を共にすることも多かった。連載には一般的なガイドブックには載っていない店舗も掲載されており「店選びの参考になり、助かる」と笑う。

【週刊経済ワード】デジタルカメラ市場
 スマートフォンの普及に伴い、コンパクト型のデジカメの販売が落ち込み、市場全体の縮小が続く。複数のレンズを搭載したり、画素数を高めたりしたスマホカメラの高性能化により、レンズ交換式も大きな打撃を受けた。メーカー各社はレンズ交換式では一眼レフに代わって、小型、軽量で操作性の良さが特長であるミラーレスに力を入れている。
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