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大江車体特装社長
大江晴久氏
大江晴久氏
【インタビュー】
 -業界と自社の現状は。

 「当社は大手メーカーが作れない車を作っていると自負している。それは高度な技術を持つということではなく、使い手の要望を具体的に反映した車を作るという意味だ。使い手が満足して仕事ができるよう車を仕上げ、その車が毎日活躍することで、地域社会の豊かな生活が実現することを目指す。『はたらくクルマづくりで地域社会に貢献する』を経営理念に掲げている。新型コロナウイルスの影響はこれから出ると感じている。お客さまの要望は多様化し、特に高齢化社会、災害時、医療現場で必要とされる車の性質が変わってきている。そのニーズに応えるため長年蓄積したノウハウとデータを生かし、受注型企業から提案型企業へ変化する。次のステップに進む準備を社員全員で進めている。世の中から頼られる会社になりたい」

 -求めている人材は。

 「あいさつができる人だ。技術や作業能力は毎日の訓練で必ず身に付くが、それだけでは社会人として成長したとは言えない。人の役に立つことに仕事の社会的価値がある。より良い仕事をするためには、人として成長しなければならない。時間を守る、感謝する、笑顔でいる、敬意を持つ、仲間を大切にする。だから人へのあいさつが大切になる。当たり前のことが当たり前にでき、働く仲間とお客さまを分け隔てなく大切にできる人を望む」

 -どのような能力が必要でどんな努力をするべきか。

 「当社には『3K(健康・謙虚・感謝)』を大切にする文化がある。その実践が社員一人一人の人生を豊かにし、会社の発展につながる。新しい技術や知識の習得より、人それぞれの能力と技能の違いを互いに理解し合い、それぞれの光る部分を見つけ、磨くことのできる環境づくりが大切だ。人は必ず失敗をする。だが、失敗から学んだことは一生忘れない経験になり、苦手なことや弱さを克服する機会にもなる。私も自分の経験から、失敗を恐れない環境づくりを全社員で進めることが大切だと感じており、その環境づくりが挑戦を続けることになる」

 -仕事上で影響を受けた人物は。

 「専務で双子の弟の大江裕二だ。彼の行動力と現場での判断力は、時に会社の雰囲気をも変えてしまうほど絶大だ。『考えるより動け』を間近で勉強させてもらっている。良き相談相手でもあり実直な叱咤(しった)激励もあるため、私たちは2人で一人前なのかもしれない」

 ★大江晴久氏(おおえ・はるひさ)  日本大商学部経営学科卒。田村内張製作所(さいたま市)で1998年から4年間、自動車内装業務の修業を積み、2001年に両親が経営する大江車体特装に入社。部長、専務を経て17年4月、5代目社長に就任。山形市出身。46歳。

 ★大江車体特装 1862(文久2)年、大江甚六が人力車メーカーとして創業。2代目が人力車から自動車内張業へ転換し、3代目が1963(昭和38)年に株式会社化。4代目の高度経済成長期に特装車事業を本格化しオーダーメードの車体架装、公認改造事業が定着した。現在は商用車のボディー特装、荷台のほろシート特装、公用車や緊急車両の製造、霊きゅう車など乗用車モノコックボディー架装を手掛け、県内から東日本全域まで商圏を広げる。従業員数11人、資本金1千万円。本社所在地は山形市相生町8の23。

【私と新聞】新たなニーズの発見にも
 新聞について、大江晴久社長は「毎朝コーヒーを飲みながら紙面に目を通す。気になる記事は最後まで読み、おくやみ欄も必ず見る」と語る。地元情報を仕入れるため、山形新聞を重宝しているという。
 特に時間をかけて、じっくり読むページは経済面だ。時期により県内企業の決算や人事異動の情報が載り「県内中小企業の動向を知るほか、地元ならではの情報を入手し、時には新たなニーズの発見にも役立っている」と語る。また「山形新聞はインターネットより見やすく、情報を正確に伝えてくれ、重要な経営ツールになっている」とも。
 学生時代は双子の弟の大江裕二専務とともに器械体操選手として鳴らし、国体やインカレなどさまざまな大会で活躍した。そのため今でもスポーツ関連の記事は気になるといい、中体連や県高校総体の結果も必ずチェックするという。

【週刊経済ワード】東証の新市場
 東京証券取引所が来年4月に1部や2部などを改編し、新設する三つの市場区分。最上位のプライム市場は、多くの大口投資家の売買対象となる時価総額の高い代表的企業を念頭に置き、最も厳しい企業統治の水準を求める。上場基準を厳格化して優良銘柄を集約、世界から投資資金を呼び込む。スタンダード市場には、プライムに準じる形で一定の時価総額などの基準を設定する。グロース市場の企業には、高い成長を実現するための事業計画を求める。将来性を重視する分、相対的に投資リスクは高くなる。

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