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古沢酒造社長
古沢康太郎氏
古沢康太郎氏
【インタビュー】
 -酒造業界の現状と自社の取り組みは。

 「酒類の小売り規制緩和で酒販店が淘汰(とうた)され業界は根底から変わった。従来の小売店は好みの日本酒を顧客に薦めたが、スーパーやコンビニは基本的に陳列するだけ。大手コンビニに1万本を納めても次の発注があるとは限らず、中小酒造会社にとっては主要な販売先にならない。そこに新型コロナウイルス禍があり飲食店で飲んでもらう分が減った。自宅で飲むにも家計防衛の意識が強く、主に安価な酒類が求められている」
 「だがインターネットでは高級品が売れ、また若い世代には日本酒が新鮮と映っているようだ。当社の酒造資料館には若い女性も多く訪れる。味は重くなく、爽やかで楽しく飲める、軽く明るい酒に力を入れる必要がある。当社では、精米歩合35%で香り高くフルーティーな『紅花屋重兵衛』や、40~50%で飲み口が軽い『澤正宗 美田美酒』など純米大吟醸や純米吟醸が売れている。純米吟醸や純米酒から製造し、ロックですっと楽しめる米焼酎『雪原』も好調だ。一般世帯はコロナ収束後も財布のひもをすぐには開けないだろう。引き続き若い世代向けの酒造りに努力したい。そして継続してきた海外輸出も増やしていきたい」

 -求める人材は。

 「時代の激しい変化に対応できる人間が必要だ。その上で仲間とコミュニケーションを取ることも重要だ。酒造りの職人として真面目に和をもって仕事に取り組みつつ、各分野の専門家に常に学ぶ姿勢を持つことが、新たな時代に対応することにつながる。同時に酒造りに最も大切なこの土地の風土は、変わらず大事にしていきたい。月山からのきれいな軟水が、原料となる米を作り、酒を生む。この風土が育んだ人々は実直で、自らが信じる本物の酒を造ろうとする。コスト追求に走らないことが、土地の食のおいしさにもつながっている」

 -影響を受けた人物は。

 「祖父で3代目の古沢徳治だ。明治生まれで尋常小学校しか出ていない祖父は、『cc』などの単位すら分からなくても懸命に酒造りを学び、子どもたちの教育に熱心だった。その祖父からは『中は天下の太陽なり』との言葉をよく聞かされた。1番になる必要はないが、最後ではいけない、常に真ん中にいなさい-ということ。真ん中をキープするには常に努力が必要。目立つことでけんかをしてもいけない。日本酒がつくる和につながり、何より酒造りにもつながる。自己主張し過ぎずに、多くの人に愛される日本酒を造っていきたい」

 ★古沢康太郎氏(ふるさわ・こうたろう) 寒河江高、法政大卒。アルコール飲料を日本から輸入して販売する米国の貿易会社勤務と、国税庁醸造試験所(東京)での研修を経て1972年、25歳で入社。95年に社長に就任した。酒造りとしては5代目となる。74歳。

 ★古沢酒造 1836(天保7)年創業。1948(昭和23)年に株式会社化し3代目徳治が初代社長に就いた。代表的銘柄は大吟醸酒や純米吟醸酒などの「澤正宗」、本醸造酒の「紅葉盛」。1.8リットル換算の年間生産量は18万本。従業員数10人、資本金2000万円。寒河江市丸内3丁目5の7。酒造りの道具見学や試飲ができる酒造資料館、そば打ちをして食べられる「紅葉庵」を併設。山形市のJR山形駅ビル1階の居酒屋「酒蔵澤正宗」を子会社として営業している。

【私と新聞】各世代の意見、興味深い
 出社後に山形新聞をじっくり読むという古沢社長。まず1面から4面まで、全国のことを含めニュースを把握する。「山形新聞は全国のニュースを凝縮して掲載している。県内のニュースもたくさん入っており、おくやみ情報もある。地域に生きる会社にとって絶対に必要」と話す。
 寒河江市の観光協会(現・観光物産協会)の会長を20年以上務めた古沢社長。山形新聞の地域面では各地の観光情報をよく読むという。「私たちも酒造会社として商品を通してお客さまに楽しみを提供し、観光客を呼び込む酒造資料館も整備している。観光に取り組むみなさんと一緒に頑張りたいと思う」と話す。
 読者が意見を寄せる「やましんサロン」も、お年寄りから学びを発信する中高校生まで、それぞれの内容が興味深いと指摘する。
 全国紙も併読する古沢社長は、山形新聞の紙面に対して「社会現象を深掘りする記事を、より多く載せてほしい」と期待を語った。

【週刊経済ワード】カーボンプライシング
 地球温暖化対策の一環として二酸化炭素(CO2)排出量に応じて企業や家庭に経済負担を求める制度。英語で「CARBON(炭素)」への「PRICING(値付け)」を意味する。排出量に比例して課税する「炭素税」と、企業ごとに排出上限を決めて超過する企業と下回る企業との間で排出権を売買する「排出量取引」が代表的。北欧では1990年代に炭素税の導入が始まった。(ワシントン共同)
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