NIBフロントライン

渡辺鋳造所社長
渡辺利隆氏
渡辺利隆氏
【インタビュー】
 -業界、自社の現状は。

 「機械鋳造製品の一番の得意先である自動車産業は、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を大きく受けた。中でも鋳造製品を使うトラック・商用車の分野は、乗用車の需要が戻りつつあるのに対し回復が遅れている。結果、今年は業界全体が相当落ち込んだ。当社の主力はエレベーター関連部品で、うち滑車はこれまで国内16万台、海外3千台分を納めた。当社への注文は超高層ビルに入るエレベーター用の大型滑車や、細いワイヤに耐えられる滑車など、より高い強度・耐摩耗性を持つ製品が多い。自動車部品を製造するための金型でも、冷却時間を短縮することで生産効率を向上できるといった、新しい特性を持つ金型の開発を進めている。ここ10年で見ると鋳物産業全体は横ばいの印象だが、高い技術力が求められる注文に対応してきた結果、当社の受注は伸びている」

 -小さい企業ながら技術力・開発力を高めてきた。

 「鋳造品の可能性は無限大だと考え、お客さまから課題をもらったら断らずに挑戦してきた。開発には専門的知識も不可欠で、自社で賄うには相当の企業規模が必要。当社は県工業技術センターや大学の研究者ら金属関係の知識が豊富な専門家に助言を求め、タッグを組むことでさまざまな素材を開発してきた。頭脳集団とのネットワークで解決できた課題は多い。難題をクリアすること、新しい特性を生み出せることは、この上なく面白い。次第に大手メーカーから直接相談され、提案できるようにもなってきた。このパイプを十分活用できる会社に成長したい」

 -求める人材は。育成のために留意することは。

 「求めるのは仕事に情熱を持ち、諦めず課題に向かい続ける人材。企業は世代交代していかなければならないが、ベテランと若手との間に年齢差があり過ぎると承継が難しいため、25年ほど前から若手だけのグループをつくった。経験がないので失敗はするが学び合って成長し、定着率も高くなった。今は各部門に若手が育ち、社員の平均年齢は37歳。毎週、グループリーダーの会議を開き、各部門の課題を徹底して議論している。年齢や経験にかかわらず多様な意見に耳を傾けることも、人が育つ環境として留意している」

 -影響を受けた人物と教えは。

 「江戸時代初期に活躍した陽明学派の始祖といわれる中江藤樹。小学4年の時に伝記を読み、感銘を受けた。本当の知は実践が伴わなければならないという陽明学の中核をなす思想『知行合一』は座右の銘。自ら知識を吸収し、いいと思ったことは行動に移すことを大切にしている」

 ★渡辺利隆氏(わたなべ・としたか) 鶴岡工業高等専門学校卒。県外の鋳物製造会社で4年間勤務後、1972(昭和47)年に渡辺鋳造所入社。鍋や鉄瓶だった製造製品を機械部品へと転換し、新素材・新技術の開発研究者としても知られる。2000年に4代目社長に就任した。73歳。

 ★渡辺鋳造所 山形市銅町に1900(明治33)年、渡辺社長の曽祖父が創業。1974(昭和49)年、山形西部工業団地に事業所、工場を移転。エレベーター関連部品が主力で、同社のエレベーター滑車は東京スカイツリーなどに使われている。自動車関連、産業機械製品も手掛ける。形の自由度と強度がともに高い「マルテンサイト鋳鉄・鋳鋼」を県工業技術センターと開発し、日本と米国、韓国、台湾で特許を取得。2017年に科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞を受賞。今年、経済産業省の地域未来牽引(けんいん)企業に選定された。資本金3千万円。グループ全体の社員数40人。本社所在地は同市鋳物町21。

【私と新聞】気になる記事をスクラップ
 渡辺利隆社長は山形新聞と専門紙を合わせ、毎日4紙を読む。気になる記事はジャンル別にスクラップしている。専門分野の情報はないものの、一般紙を読み込むことは社会の背景を理解する上で重要だと考えている。「時系列で整理できるのも新聞スクラップの利点」と語る。

 新型コロナの感染拡大で自社の業界を含め幅広い産業が打撃を受けた今年は、2008年リーマン・ショック後のスクラップを読み返したという。「あの時も世界経済が冷え込んだ。何が起き、回復にどのくらい時間がかかったか、評論家がどう論評していて結果どうだったかを改めて整理することで見えてくる道筋、解決の手掛かりもある」と話した。

【週刊経済ワード】規制改革推進会議
 競争力強化に向けた企業活動や、柔軟な働き方の実現などを阻害しかねない仕組みを点検し、必要な規制緩和策を話し合う政府の会議。委員は企業経営者や大学教授らで構成し、医療や農業など分野ごとの作業部会で議論した上で首相に答申する。新型コロナウイルス感染症の拡大局面では、初診は原則対面とする厚生労働省の規制を見直し、オンライン診療を認めるよう促した。
[PR]