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たいようパン社長
大浦正人氏
大浦正人氏
【インタビュー】
 -業界の現状と力を入れている取り組みは。

 「コメ離れが進み、パン消費は伸びているものの、全国シェアは大手が9割、残りの1割を約千社が分け合っているような状況だ。東北でも事業を停止する会社が複数あるなど、どこも苦しい状況となっている。スーパーなどへも納入しているが価格競争では大手に勝てず、必然的に売り場面積は小さくなる。こうした中で、ご当地パンの創作などのアイデアや品質で生き残りを図っている。学校給食についても、パン食提供の1週間(5日間)平均が0.7日となっていることに加え、歯止めのかからない少子化など、マイナス要素が大きい。現在はパン食の回数を増やしてもらうために業界として働き掛けを強めているほか、パンの材料に県産小麦粉を活用したり、県産米の米粉を使った商品をメニューとして加えたりして、地産地消の観点から教育現場に理解を求めている」

 -求める人材は。

 「少し考えが古いかもしれないが、最後まで諦めず戦えるような人材を求めている。生きていく中で人間はどうしても楽な道を選びがちだが、集団として戦うには、みんなが同じ方向を向いていく必要がある。『100引く1』が『99』ではなく『0』に近い状況になることもあり得る。苦労は買ってでもする方が、個人の幸せな人生にもつながる」

 -その力を身に付けるために必要なことは。

 「とにかく、大変だと思うことでもやりきることだ。苦しみ苦労した分、他人の痛みも分かるようになる。そうすれば、人に対する思いやりが生まれる。この思いやりこそが消費者や、給食を待っている子どもたちを笑顔にする原動力になる」

 -仕事上、影響を受けた人物は。

 「2人いる。1人は入社当時の新野孝一社長。苦労人で厳しい人だったが、人間に対する温かさが根底にあった。もう1人は全日本パン協同組合連合会の西川隆雄会長(兵庫県)。業界は大変な時代だが、車いすに乗りながら全身全霊をかけて、全国のパン屋さんのために奔走している。行動の背景には、業界人すべての人に『パン屋になって良かったと思ってもらえるようにしたい』という強い思いがある。自分も同じ思いだ」

 ★大浦正人氏(おおうら・まさと) 高畠高、国際商科大(現東京国際大)卒。1978(昭和53)年に入社し、94年に常務、2013年から社長に就く。高畠町出身。64歳。

 ★たいようパン 1948(昭和23)年に置賜糧食加工として創業。定番商品の「ベタチョコ」は、64年から愛され続けている。65年に学校給食の受託を開始した。76年に現在のたいようパンに社名変更。81年に菓子工場増設、92年に炊飯工場を建設した。資本金4800万円、従業員(パート含む)76人。本社所在地は高畠町深沼2859の6。

【私と新聞】生活や仕事の中で必須
 地域情報のほか、おくやみ欄、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う生活情報など、身近さが山形新聞の持ち味と語る大浦社長。「地元のことを詳細に報道しており、生活や仕事の中でなくてはならない存在」と強調する。

 自宅で毎朝10分程度、見出しなどを中心に最新の情報をチェックする。出社後は経済紙も含め、気になったニュースを1時間ほどかけて熟読するのが日課だ。「インターネットで多くの情報が気軽に楽しめる時代になったが、真実なのかどうかは疑問なことも多い。新聞の強みは信頼性にある」と語る。

 気になった言葉や文章は紙に手書きし、社員が目にするよう事務所や工場に張り出す。息子で現在は同じ職場で働く晋太郎さん(32)が高校時代、県内バスケットボール強豪校でメンバー入りしたことを新聞で知った時は、喜びもひとしおだった。その時の記事は、今も大切に持っているという。

【週刊経済ワード】決算発表
 東京証券取引所は上場企業に事業年度末から45日以内の通期決算開示を求めている。昨年5月のピーク日には3月期決算企業の2割に当たる471社が発表した。決算内容は投資家の大きな判断材料になるため、開示に合わせ記者会見や説明会を開く企業も多い。東証は2月、新型コロナウイルス感染拡大を受け発表延期を容認すると発表。45日以内にとらわれず内容が確定した段階での公表を認めた。
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