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とみひろ社長
冨田浩志氏
冨田浩志氏
【インタビュー】
 -業界と自社の現状、力を入れている取り組みは。

 「昔とは違い着物を着る人はどんどん減ってきている。日本の大切な文化である着物の継承と発信が、当社の使命と考えている。着物の販売だけでなく、35年前から草木染商品の企画製造を手掛けている。さらに着物の縫製を専門に手掛ける和裁工房や、草木染手織り紬(つむぎ)の工房も構えた。2016年には白鷹町で桑畑を造成し養蚕事業を始めた。日本に流通する絹のほとんどは輸入品で国産の絹は見ることさえ難しい。そうした現状をなんとかしたい、着物と同様に養蚕技術と国産絹を後世に伝えたい、という思いがある。来年の春には繭が120キロになり、鶴岡で糸にして自社で商品化する。養蚕から染織、仕立てまで一貫して手掛ける呉服店は当社しかない」

 -求める人材は。

 「グループ全体で150人の社員がおり、平均年齢は37歳。毎年、大卒3~5人を採用している。ほかにテキスタイルを学んできた人材も採っている。養蚕をやりたくて入社した若者もいる。期待しているのは誠実さや素直さ、真面目さ。着実に力を蓄え、ぐっと伸びるからだ。毎年夏には全社員を集め、事業発展計画発表会を開く。会社の理念や事業戦略、評価ポイント、行動規範、各店舗の目標などをまとめたファイルを一人一人に配り、共有し、全員のベクトルを合わせる」

 -トイレ掃除を通して心を磨く山形掃除に学ぶ会の代表世話人を務めている。

 「別団体で月1回早朝にJR山形駅前のごみ拾いをする活動もしている。掃除は自己修練であり、掃除や整理整頓は突き詰めると『気付き』と言える。気付きが成長、感動につながる。謙虚さも学べる。こうしたことは、リーダーになる際に重要になってくると考えている。ただ掃除を社員に強制はしていない。掃除だけが評価基準になってはいけないからだ」

 -仕事上、最も影響を受けた人物は。

 「一人は掃除に学ぶ運動の提唱者で日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎氏(イエローハット創業者)。一緒に風呂に入り『トップがやるべきことは、ピラミッドの頂点の経営理念やビジョンを示すことと、底辺の掃除だ。後は社員に任せなさい』と教わった。陽明学者で哲学者の安岡正篤氏の『心中常に喜神を含むこと』『心中絶えず感謝の念を含むこと』『常に陰徳を志すこと』との言葉も大切にしている」

 ★冨田浩志氏(とみた・ひろし) 明治大大学院商学研究科修了。1978(昭和53)年、きものふじや(現ふじや冨宏商事)入社。84年に埼玉とみひろ社長に就き、93年からグループ4社の社長を務める。日本を美しくする会東北ブロックの副ブロック長、山形掃除に学ぶ会の代表世話人、「山形を掃除しよう!」代表。山形市出身。65歳。

 ★とみひろ 近江商人が1578(天正6)年に創業した薬種商「冨士屋」がルーツの呉服店。ふじや冨宏商事の小売り部門「きものふじや」の新業態として1981(昭和56)年に「とみひろ」事業がスタートし、85年に法人化。仕立て部門の和裁工房や草木染手織り紬を作る染織工芸を構え、2016年には白鷹町で養蚕事業を開始、着物のレンタルやブライダル、フォトスタジオ事業も展開している。店舗・事業所は山形、宮城、埼玉、東京、神奈川、京都に計24店。資本金2570万円(グループ計6900万円)。グループ全体の従業員は約150人。本社所在地は山形市十日町4の1の3。

【私と新聞】銀座の紬展、記事が励みに
 週の半分は東京などに出張している冨田浩志社長は、帰県すると留守中の山形新聞にまとめて目を通す。「全国的なニュースはスマートフォンでも確認できる。県内各地の細かな情報を網羅している地方紙の役割は大きい」と語る。

 忘れられない出来事がある。会社は1982(昭和57)年に大宮市(現さいたま市)に出店し、長井や米沢の紬(つむぎ)、鶴岡のしな布などを販売していた。ある日、2人の客が返品に来た。理由を尋ねると地元の呉服店から“三流紬”とばかにされたのだという。

 冨田社長は90年から6年間、東京・銀座4丁目交差点のビルで山形の紬だけを集めた展示会を企画し、成功を収めた。「山形新聞から記事に取り上げてもらい、本当に励みになった。山形の紬の良さを全国に広めたいという思いを皆に知ってもらえた」と振り返る。

【週刊経済ワード】家計調査
 景気動向を示す重要な指標となる個人消費の推移を把握するため、総務省が毎月公表している統計。経済政策の判断材料にも使われる。全国の約9000世帯を選び、購入した品目や収入、支出の金額を調査票に記入してもらう。食料や住居、家具・家事用品といった費目ごとの支出と増減が分かる。サラリーマン世帯など分類別のデータも示している。
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