NIBフロントライン

ミクロン精密社長
榊原憲二氏
榊原憲二氏
【インタビュー】
 -業界、自社の現状とそれを踏まえた取り組みは。

 「当社の取引先としては自動車部品メーカーが約6割。他に建設機械の油圧の部品、ベアリングメーカーなどさまざまな分野と取引があり、増えつつある分野としては医療機器関連がある。自動車部品のうち内燃機関(エンジン)関連が約7割であり、電動化を見据え、いろいろな分野で開発を進めたい。一方で、電動化するとカーエアコンなどのモーター音が気になるようになり、より高精度なモーターが必要になると言われている。そうした需要を取り込むことも考えたい」

 「売り上げベースでは、国内と海外が半々。中国に関しては従来、慎重な取り組みをしている。米中貿易摩擦に関し直接的には大きな影響がないが、中国向けに部品を製造する国内メーカーが設備投資を見直すなどした場合に影響はあるだろう。工作機械業界は良い時と悪い時が定期的に訪れる。悪い時は研究開発、生産効率化にしっかり取り組もうと考えている。理念の一つが『蔵王から世界へ』。当社の研削技術によりビジネスを呼び込み、いくらかでも地域経済に貢献したい」

 -求める人材は。

 「『ミクロン精密でこういうことがしたい』というビジョンが明確な人。一つのことを突き詰める人も、広い視野で方向性を示すことができる人も必要。自分の仕事、世の中で起きていることを『わが事』として捉えられる人は、どこにいても力を発揮するだろう。そういう人がほしい」

 -どのように人材育成に取り組んでいるのか。

 「オーダーメードで機械を製造しており現場で覚えることが多い。メンター、メンティー制度を導入し、個々にあったやり方で仕事を教える。技術者・技能者として必要なことを身に付けてもらうために、座学で基礎基本を教える『基塾』を立ち上げた。月2回のペースで、入社1、2年目の社員を対象に、取締役が講師を務めている」

 -仕事上で影響を受けた人物は。

 「父親で会長だった榊原忠雄に言われたのは『大変なところからいけ』『相手の立場になって考えろ』。人生で、大変強く影響を受けた。もう1人は合弁会社のパートナーだったフィル・パチュルスキー。『最初にきちんと取り組み、毎回きちんと取り組むこと』『大局を見て、最終的に自分が得たいものがどこにあるかを見極めて交渉する』ということを教わった。自分にとってはこの2人がメンターだ」

 ★榊原憲二氏(さかきばら・けんじ) 早稲田大商学部卒業。大日本インキ化学工業を経て1985年、ミクロン精密に入社。29歳でミクロンUSA副社長、本社取締役を経て2009年3月に社長に就任した。山形市出身。61歳。

 ★ミクロン精密 心なし研削盤、内面研削盤などの工作機械を手掛ける。1958(昭和33)年、中川精機山形工場として創業。61年、中川精機製造(現ミクロン精密)を設立。68年に商号を現社名に変更する。2005年に株式上場。米国、タイに現地子会社がある。資本金6億5137万円。社員数245人。本社工場所在地は山形市蔵王上野578の2。上山市にも工場、研究開発拠点がある。

【私と新聞】情報、一目で分かる
 榊原社長は「新聞の長所は一目で分かるところ」と語る。限られた時間の中、見出しだけで分かる記事もあり、複数の情報を短時間で把握できる。また、興味を持てば、さらに深入りして読むこともできる。

 東京にいた頃は、混雑する通勤電車で、二つ折りした新聞に目を通していたという榊原社長。「興味がある記事は営業部門に伝えたり、お客さまとの話題に活用したりしていた」と振り返る。印象に残っているのは米国駐在時の1987年、ニューヨーク市場で株価が暴落した「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」を報じた新聞記事という。「世の中の重大事件は新聞の1面の見出しと共に記憶の中にある」

 日本の民主主義のためにも、「新聞には『若者よ選挙に行こう』という啓蒙(けいもう)もしてほしい」と提案する。

【週刊経済ワード】フッ化水素
 蛍石と硫酸を混ぜて生成した物質。毒性が強く生産場所や扱える企業が限られる。日本企業は高純度のフッ化水素を生産する技術に優れ、世界シェアは9割に達する。日本企業が製造したフッ化水素は、液体で韓国に輸出されている。主に半導体の洗浄に用い、韓国の主要産業である半導体や有機ELディスプレーの製造に欠かせない素材となっている。
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