NIBフロントライン

山形中央信用組合理事長
井口裕士氏
井口裕士氏
【インタビュー】
 -金融業界の現状を踏まえ、自社の取り組みは。

 「金融機関の基本業務は、お客さまからお預かりした資金を、必要な方々に貸し出すことで成り立っている。このため、金利が極めて低い状態では貸出の量のみを増やしても、収益的にはさらに厳しい状況へと追い込まれていく。マイナス金利政策が始まって3年以上が経過した。各金融機関は生き残りを懸けた業務提携や経営統合への道を模索する一方、国も規制緩和でこの流れを後押ししようとしている。当組合も他金融機関と同様厳しい状況にはあるが、われわれは預金、貸出ともに組合員で構成された協同組織の金融機関であり、地域とそこで暮らす住民から離れることはあり得ない。従って当組合は今後とも、預金と貸出という本来の業務に特化した経営に徹していくことこそが、生きる道だと考える。これを貫いていくためには、常日頃からお客さまとの心の通い合った良質なサービス提供を心掛け、金利が全てではない強固なパートナーシップを築いていくことが大切だ」

 -どのような人材を求めているか。

 「金融界の偉人の言葉に『貸すも親切、貸さぬも親切』というものがある。これは、お客さまの立場で将来を考え、貸した後のことにも十分配慮せよ、という教えだ。当組合の職員には、この言葉を肝に銘じ、一人一人のお客さまに対して真心で接し、良い時も苦しい時も常に寄り添う姿勢を持ってほしい。正直に言えば、当組合の営業スタイルは時代の最先端を行くものではない。ただ、われわれが目指すべきは、金融機関としては1周遅れであっても、地域の住民からは1等賞と言ってもらえる存在だ。職員には自らの仕事に自信とプライドを持って取り組んでほしい。また金融業界を志す若い人が、地域とともに自分自身も成長発展したい、自らの役割を果たしたいと考えるのならば、ぜひ信用組合と共に汗を流してほしい」

 -仕事上で最も影響を受けた人物は。

 「東北地方には北郡信用組合の西塚一彦会長のほか、尊敬できる先輩は多数おられるが、全信組連出身の私としては、同組織の会長も務める広島市信用組合の山本明弘理事長を挙げたい。麻生太郎金融担当相も舌を巻くほどエネルギッシュな人物。徹底した自己管理、明快な経営理論、卓越した実行力、そして70歳を過ぎても会議でマイク不要の大きな声。どれをとっても私は足元にも及ばないが、彼からの叱咤(しった)激励にうれしさを感じるという意味で、現在も大きな影響を受けていることには相違ない」

 ★井口裕士氏(いぐち・ゆうじ) 立教大卒。1978(昭和53)年に信用組合の中央機関、全国信用協同組合連合会(全信組連)入会。監査機構監査士や人事部長、常勤理事などを歴任後、2018年から現職。宮崎県出身、64歳。

 ★山形中央信用組合 1951(昭和26)年に置賜信用組合として発足し84年、現名称に変更した。長井市を中心とした置賜地域と、寒河江、山形両市を中心とした村山地域を営業地区とする。川西、小国、白鷹、飯豊、大江、寒河江など各市町に店舗網を広げ現在、計8店舗を構える。「地域とともに歩み、地域の発展に貢献する」を経営理念に掲げる。出資金は14億6100万円、従業員数約70人。本店所在地は長井市本町1の3の3。

【私と新聞】明日を生きるヒントに
 井口理事長は、就職して初出勤した朝、上司から掛けられた何げない「新聞は必ず読みなさい」との言葉を今も忠実に守る。現在、山形新聞と経済紙、業界紙数紙に目を通しているが、山形新聞と経済紙では読み方が異なる。共に1面からだが、山形新聞は次に社会総合面と後ろから前へ読み進める一方、経済紙は前から順に読む。「私に必要な情報を、より早く効率的に頭に入れるための工夫」と語る。また、山形新聞のおくやみ欄チェックは「当信組にとっては重要な日課」。昨年6月に着任後、初めて読んだおくやみ欄の「遺族の話」に「他界した母が重なり胸を熱くした」と振り返る。

 情報のグローバル化やデジタル化が急速に進む中でも、「私にとって新聞とは今を知り、明日を生き抜くヒントをつかむ大切なツールであることに、今も昔も変わりはない」と断じる。情報過多で新語・造語が氾濫する今、新聞の用語解説コーナーには「相当助けてもらっている」という。

【週刊経済ワード】企業の業績予想
 企業が1年間、半年間など期間を区切って公表する経営成績の予測情報。投資家にとって有用な投資判断の材料になるため、東京証券取引所は上場企業に対して積極的に公表するよう求めている。上場企業は売上高や利益の変動幅が一定割合を超える見通しになった場合、決算を待たずに速やかに業績予想の修正を開示する必要がある。
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