NIBフロントライン

弘栄設備工業社長
船橋吾一氏
船橋吾一氏
【インタビュー】
 -業界と自社の現状は。

 「東日本大震災の復興需要、2020年東京五輪・パラリンピックに向けた建設ラッシュに伴い、全国的には建設業界は好況だ。ただ、本県は復興需要が一段落し、五輪需要の恩恵も届かず、多忙な状況は終息しつつある。当社は人手不足により、現場管理者、職人、施工業者の確保が難しい。今後を見据え、どう準備するかが鍵になる」

 -新たな取り組みも始めた。

 「配管検査用のロボット開発を進め、自社開発プログラムと組み合わせた新サービスの提供を始める。とは言え、会社をつくるのは人だ。優れた人材を確保するため、魅力ある会社づくりを目指し、さまざまな挑戦をしている。県民に『何か面白いことをやっている会社』とのイメージを持っていただき、未来を担う学生に魅力を感じてもらえればうれしい。社員が子どもを就職させたいと思える会社をつくりたい」

 -求める人材は。

 「当社は『感動経営』がモットー。私は感動によって人格が形成され、社長という尊い役職に就かせていただいた。皆さまからいろいろな感動をいただき、モチベーションが高まり、見地が広がって今がある。だから感動は社内で共有したい。感動を素直に感動と思える人材を求めている」

 -そういう人材を育てるには何が必要か。

 「周囲がそういう環境、機会をつくることも大切になる。斜に構えていてはだめだ。当社は感動を共有するため、さまざまなことに取り組んでいる。例えば、大げさなくらい社員と握手し、社員をほめる。そういう小さなことでも感動を育み、共有できる。社員の家族、協力会社、支援者とも感動を共有しようと、皆さまを招待してさまざまな社内行事、家族交流会を開いている。それが感動を感動と思える社員を育てるためのアプローチだ」

 -入社前に身に付けてほしい能力、技術は。

 「特別な技術、資格は必要ない。学生にしかできない経験をしてきてほしい。部活、留学、旅行、アルバイト、遊び、飲み会など何でも良い。やれることはしっかりやってきてほしい」

 -仕事上で影響を受けた人物は。

 「父で先代社長の船橋征吾会長から学ぶことは多かった。入社したことで、それまで知らなかった父の姿を知り、見たことのない姿を見ることができた。それは同じ会社に入り、父の背中を見なければ体験できなかったことだ。私にとって会社は親の生きざま。その生きざまを間近で見るという貴重な経験をした。感謝し、尊敬している」

 ★船橋吾一氏(ふなばし・ごいち) 大阪経済法科大経済学部卒。日立冷熱(現日立アプライアンス)を経て、1999年に弘栄設備工業に営業課長として入社。営業本部長、トータル・ソリューション本部長、副社長を経て2012年から現職。業界団体の県空調衛生工事業協会理事長でもある。第56代山形青年会議所理事長も務めた。47歳。

 ★弘栄設備工業 1946(昭和21)年に東根市神町で創業。54年に株式会社化し、70年に現在地に本社を移した。空調、給排水、上下水道など設備関係全般を請け負う。仙台市に支店があるほか、酒田、米沢、蔵王、新庄、上山、東京、北海道に営業所がある。関連会社は7社。資本金3500万円。従業員数122人。本社所在地は山形市北町1の7の2。

【私と新聞】広告閲覧でき魅力向上
 船橋吾一社長は出張が多く、山形新聞の読者限定電子新聞「やましんe聞」を愛読している。「広告も非常に重要な情報収集ツールと考えている。今年4月から広告が閲覧可能になり、さらに魅力が上がった」と指摘。e聞の利点については「全国のどこにいても山形にいるように情報を入手できる点」と語る。

 仕事柄、施設完成を知らせる広告は熟読し、施工業者を確認する。交友関係が広く、知人や後輩が紙面に載る場合があるため、地域版にも目を通す。「山形新聞がなければ地元の情報は手に入らない」と話す。

 妻が子どもを県内各地の行事、イベントに連れて出掛けることが多く、翌日付紙面で子どもが写真に写っていないか探すのがひそかな楽しみ。山形新聞記者によるNIB(ビジネスに新聞を)読み方講座を受講した経験があり、「とても勉強になり、新聞の見方が変わった」と笑う。

【週刊経済ワード】日銀の大規模金融緩和策
 物価上昇率2%の実現に向け、日銀が2013年4月に始めた金融緩和策。当初は大量の国債を購入し、市場にお金を供給するのが柱だった。16年1月に、民間銀行が日銀に預けるお金の一部に0.1%の手数料を課すマイナス金利政策の導入を決定。同年9月には政策目標を「量」から「金利」に転換し、長期金利を0%程度に抑える緩和策を決めた。今年7月には、政策の持続性を高めるため、長期金利の変動幅の拡大を容認するといった政策修正を行った。
[PR]