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黒沢建設工業社長
黒沢友晴氏
黒沢友晴氏
【インタビュー】
 -業界と自社の現状は。

 「公共工事が減り、建設業界にとって厳しい時代が続いてきたが、東日本大震災後の復興事業によって需要が高まっている。不況の中で採用を控えてきたこともあり、また団塊の世代の引退や人口減少・少子化によって、建設業を志す人も少なくなっており、優秀な人材の確保が課題となっている。当社は空気調和と上下水道、給排水衛生設備の工事を手掛けている。施設が出来上がった時には仕事が見えない。暑い、寒い、湿度が高いなど何かが目立てば失敗ということになる。快適な住環境を提供する仕事の魅力を若者にPRしていきたい」

 -求めている人材は。

 「明るくて、率直な人だ。話を聞き、地道に知識と技能を積み重ねていける人は伸びるし、信頼できる。社員には『守破離(しゅはり)』の精神を伝えている。まずは師匠のまねをして学び、次に自分らしさを取り入れて最後に師匠を超えていく。単に手順通りにこなすのは『作業』。作業をする意味、根幹を考えることで、『仕事』としてのめり込み、工夫や改善のアイデアが生まれる。その姿勢を『すべての仕事に“念(おも)い”を込めて。』というキャッチフレーズで表現した」

 -社員の力、会社の力を高める方策は。

 「社員教育はOJT(実務を通じた訓練)がベースで、20代後半から30代の社員が新入社員に付く。教える側の教育にもなる。今年は40代の部長を増やし、部長の平均年齢は62歳から47歳に若返った。年長の部長のサポートを受けながら若い世代の教える力、まとめる力を伸ばす。社長就任後、会社のレイアウトを変えた。壁を取り除き、総務や営業など間接部門と、工事部門が同じフロアで仕事している。部門が違っても、同じお客さまのために仕事をしているという意識を共有できるようにした」

 -影響を受けた人物は。

 「県内の経営者の皆さんから学ぶことは多い。入社間もなくある方から頂いた『身の丈に合った経営をしなさい』という言葉、また別の方からの『自分の哲学を持ちなさい』という言葉を特に重く受け止めている。先々代の祖父(茂氏)と先代の父(洋氏)からも影響を受けた。先代からは初出社の日に『お前が俺と同じ言葉を使っても同じ結果にはならない。だからたくさん経験をし、自分の言葉を見つけなさい。その時初めて人は動く』と言われた。今でも心に刻んでいる」

 ★黒沢友晴氏(くろさわ・ともはる) 千葉工業大工学部卒。設備機器メーカーに3年勤務した後、黒沢建設工業に入社。97年から中央工学校建築設備設計科で2年間学び復職。取締役企画室長、取締役副社長を歴任し、2007年にメンテナンスや点検調査業務を担う関連会社テクノ黒沢の社長に就任。13年から現職。5代目社長。天童市出身。46歳。

 ★黒沢建設工業 1937(昭和12)年に東京都大田区に黒沢製作所として設立。42年に株式会社化し、46年に山形に移転した。49年に社名を現在の黒沢建設工業に変更。公共施設や教育施設、商業施設の空気調和と上下水道・給排水衛生設備の工事を手掛けている。仙台と天童に支店、酒田、東根、新庄、米沢に営業所を置く。資本金は4千万円。社員数は96人。本社は山形市花楯2の9の21。

【私と新聞】地域を知る重要なツール
 黒沢友晴社長と新聞の出合いは3歳のころ。「毎朝、誰よりも早く起きて山形新聞のテレビ欄をチェックしていた」と振り返る。

 業界紙と山形新聞を愛読している。「自分が住む土地を知る上で地方紙は重要なツール」といい、おくやみ欄はもちろん、一面、経済面、地域版にも目を通す。「仕事では雑談も大切で、知らないでは済まされないこともある。代表者の交代や接点がある人たちが地域でどのような活躍をしているかを把握するようにしている」

 人前で話したり、文章を書いたりする機会も少なくない。「新聞には一般記事からコラム、広告までさまざまな文章が掲載されている。情報収集しながら、語彙(ごい)や表現、短く分かりやすい文章を学ぶのにとても役立つ」と語る。

【週刊経済ワード】ブロックチェーン
 さまざまな取引を特定のコンピューターが一元的に記録するのではなく、ネットワーク上の複数の参加者が分散して管理する技術。次々に発生する取引をひとまとめにしたブロックを鎖(チェーン)のようにつないで情報を更新していく。システム障害やデータ改ざんが起こりにくいとされる。国際送金や不動産取引など幅広い分野で活用が期待されており、多くの企業が実証実験を進めている。
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