NIBフロントライン

山形銀行頭取
長谷川吉茂氏
長谷川吉茂氏
【インタビュー】
 ―業界の現状を踏まえ、どのような人材を求めているのか。

 「銀行業界は大きな転換期にある。その主役は次の世代になるのかもしれないが、旧来型の銀行ではなく、新時代に即応し、未来を創る産業にならなければいけないという認識を持ってほしい。新規採用や若手の人材育成を考えれば、前向きで疑問を疑問として残さず、旺盛な好奇心を持つことが資質として求められる。また、お客さまと接する仕事なので、明るく、想像力が豊かでなければならない。新入社員には必ずメモを取る訓練をするように指導している。人前でメモを取るのはおかしなことではなく誠実な対応。聞き上手になれということだ」

 ―そのためにどんな努力が必要なのか。

 「どの時代でも必要なのは先を読む力だ。その結果として、付加価値の高い業務を遂行できる力を身に付けられるということになる。そのためには銀行業にいそしむだけでは駄目で、人対人の付き合いが肝心になる。大事なお金を預託していただいているが、お客さまは信頼できない人にお金は預けない。金利が安いだけで借りてくれるわけでもない。銀行員は常に疑問を持ち、視野を広くし、そして諦めない姿勢が求められる。広く教養を身に付けることも大切だ。今の人は本を読まない。調べ物はインターネットでいいが、ネットで頭を使うとは思えない。思考する能力を養うためには本を読むことだ」

 ―自身が仕事上で影響を受けた人物は。

 「その時々に師がおり、非常に恵まれていると感じている。まずは祖父の長谷川吉三郎と父の長谷川吉郎。2人は方針がぶれない人で、部下は働きやすかったのではないか。特に長谷川コレクションをつくった祖父は経営者として傑物だったと思う。学生時代は東京大の館龍一郎先生と宇沢弘文先生に学び、多くの人を助けるのが経済学の基本だと徹底して教えられた。ベンサムの最大多数の最大幸福という概念は、経済学の根幹だ。銀行関係では波多野一雄元住友銀行副頭取。『6割の頭で銀行経営をするように』と言われた。銀行経営は幅広い知識がないと駄目だということだ。近年は茶道裏千家第15代家元の千玄室大宗匠と、亡くなられてしまったが日野原重明さん。常に前向きに生きる姿は尊敬に値する」

 ★長谷川吉茂氏(はせがわ・きちしげ) 東京大経済学部卒。住友銀行(現三井住友銀行)を経て、1985(昭和60)年に山形銀行常務。専務、代表取締役専務を歴任し、2005年6月から代表取締役頭取。山形市出身。68歳。

 ★山形銀行 両羽銀行として1896(明治29)年に創業。吸収合併を繰り返し、1965(昭和40)年に山形銀行に行名改称した。資本金は120億円。県内外に81店舗あり、従業員数は1335人(17年3月末現在)。本店は山形市七日町3の1の2。

【私と新聞】良い記事保存、発言に活用
 長谷川吉茂頭取は山形新聞を必ず読み、少なくとも自分が出た記事と、良い記事は切り取ってファイリングし、資料として使っているという。「速報性はテレビやインターネットには劣るが、新聞は記録性に優れている」と説明する。

 それらの資料は、会長を務める県産業構造審議会で発言する際などにも用いられる。「県内でいつ何があったかをはっきりさせるためにも、私にとってはなくてはならない媒体。地元については山形新聞を読まないと、どうにもならない」

 特に1面の「談話室」は高く評価している。「随筆の執筆を頼まれることは多いが、その“ネタ仕入れ”にもいい。参考にさせてもらっている」とか。

【週刊経済ワード】第4次産業革命
 工場の稼働状況や物流、交通、個人の健康などさまざまな分野の情報をデータ化しインターネットを介してまとめ、人工知能(AI)で分析、利用につなげて新たな付加価値を生み出したり、生産の高度化を実現したりする技術革新の動き。蒸気機関による工場の機械化が実現した第1次、電力の活用による大量生産が始まった第2次、生産工程が自動化された第3次に続く変革期と位置付けられている。ドイツは製品や設備をITでつないで生産の効率化を図る構想「インダストリー4.0」を提唱している。
[PR]