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円空仏を訪ねて~庄内、見政寺

(2011/03/08掲載)

感激、慈愛に満ちた観音像

 一目ぼれをした。と言っても女性にではない。江戸時代の遊行僧、円空(えんくう・1632~95年)が彫った仏像にだ。実物ではなく写真で幾つか見たにすぎないが、素朴で生き生きとした造形と柔和な雰囲気に胸を打たれた。美濃(岐阜県)に生まれた彼は、行く雲のように、流れる水のように東日本各地を放浪し、生涯に12万体を彫像したと伝わる。県内唯一の円空仏が庄内町狩川の見政(けんしょう)寺にあることを知った。“仏ほっとけ”などと言ってはいられない。一体どのような姿なのか-。求道者の卓越した彫りをこの目で見たいと思い、寺を訪ねた。

円空仏を祭る須弥壇(しゅみだん)
円空仏を祭る須弥壇(しゅみだん)
 雪に覆われた白い庄内平野を車で走り、杉の木に囲まれた寺に着くと、24代住職の石田秀弌(しゅういち)さん(82)が安置する円空仏の来歴を話してくれた。1902(明治35)年、羽黒山から下りてきた一人の修行僧が寺に寄り、一宿一飯の礼として仏像を置いていった。作り手知れずのまま時が流れたが、ある日、檀家(だんか)の一人が「円空仏ではないか」と指摘。1972(昭和47)年に調査した結果、円空作の聖観音菩薩(ぼさつ)立像と確認された。修行僧がなぜ持っていたのかは分かっていない。

 この聖観音像は昭和初期まで「安産観音」と呼ばれて盛んに信仰されていた。「寺の観音講の女性たちは出産時、観音様をぎゅっと握り締めて苦しみに耐え、元気な子を産んだ。命の誕生を支えてくれたありがたい仏像」と石田住職。長年にわたり不妊に悩む女性の夫が参拝すると、立て続けに3人も子宝に恵まれたこともあったという。

簡素で味わい深い。優しい微笑に引き込まれた。

 興味深い逸話を聞いた後、仏堂に案内してもらい、いよいよ円空仏と対面。じかに拝観するのは初めてだ。独特の荒々しい像をイメージしていたが、厨子(ずし)に納められた聖観音像はとても穏やかな姿をしていた。そっと手を合わせる。触らせてもらうと軽く、どこにでもあるような木片に彫ったようなのだが、簡素にして味わい深い。全身を染める黒色が神秘的で、何より優しい微笑に引き込まれた。見つめていると、いつしか落ち着いた気持ちになり、慈愛に満ちた聖観音像にただただ感激した。この像は晩年の作ということだが、晩年ほど荒々しい作風から優しげになっていくという。

見政寺に安置されている円空作の聖観音菩薩立像。高さ約35センチ。煙のすすが染み込んで黒くなったようだ
見政寺に安置されている円空作の聖観音菩薩立像。高さ約35センチ。煙のすすが染み込んで黒くなったようだ
 円空は母の手一つで育てられたが、子どもの時に母を亡くし天涯孤独の身に。若くして出家し、こじきをしながら旅を続ける。江戸時代は大飢饉(ききん)が度々発生しており、苦闘とも言える道中だったに違いないが、世の平和を願って造仏し続け、自らも即身仏となって生涯を閉じた。

 見政寺の聖観音像を拝観しながらふと思う。円空を穏やかな微笑の境地へと導いたものは何だったのかと。これを石田住職に尋ねると「亡き母への思いが晩年の仏像に投影されていると言われている。母の優しさや旅の途中で食べ物などを恵んでくれた人たちの優しさが慈悲の心を芽生えさせたのでしょう。微笑は苦しんでいる人の心を救いたいという慈悲の表れ」。

 この言葉を聞いて心が洗われる思いがした。慈悲とは分かりやすく言えば「他者への思いやり」。円空仏と出会い、尊いメッセージに触れられたことに感謝して寺を後にした。

(報道部・堀川貴志)

【メモ】見政寺は1687(貞享4)年に創建された曹洞宗の寺。釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)坐像を本尊として祭る。円空作の聖観音菩薩立像は電話連絡の上で拝観可能。JR陸羽西線狩川駅から徒歩約10分。山形自動車道鶴岡ICから車で約20分。駐車場あり。庄内町狩川阿古屋33。電話0234(56)2229。
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