2021年9月24日(金)
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錦織一清、新曲は同年代の人へ 今も体にジャニーさんの教え 事務所退所は「老害でありたくなかった」

受注販売のソロシングル「Cafe Uncle Cinnamon」をリリースする錦織一清 (C)ORICON NewS inc.
 昨年末でジャニーズ事務所を退所した俳優・演出家の錦織一清。4月にはファンクラブ『Uncle Cinnamon Club』を開設し、8月には受注販売のソロシングル「Cafe Uncle Cinnamon」をリリースと精力的な活動を行っている。退所の理由、ジャニー喜多川氏への思いを聞いた。

【動画】ジャニー喜多川さんとの思い出を語る錦織一清

■「自分の人生、来たかな」 独立して半年の現在地

――ジャニーズ事務所を退所されて約半年が経ちました。改めて、今どのように感じられていますか。
【錦織】退所をして僕の中で楽になったのは、辞めることも含めて何でも自分で決められることです。たとえばコンピューターを触ってトラブルになっても、リセットボタンを押せばいいんだと覚えれば楽になるじゃないですか。今後の芸能活動の中でも自分の判断でリセットできるし、トライ&エラーもできる。「自分の人生、来たかな」と思いました。

――独立されてからはツイッターもスタートさせました。よくダジャレもツイートしていますね。
【錦織】これまで脚本やエッセイ的な文を書いていましたが、まず自分が言いたいことを書いて、そこから削るスタイルでした。ツイッターでは文字数が限られていて、けれどオチをつけないと嫌な性格なのでダジャレばっかりなってしまって(笑)。

――4月にはファンクラブ『Uncle Cinnamon Club』を立ち上げました。ラジオの配信やインラインイベントとネットを使った新しい形のファンクラブです。
【錦織】僕らの時代のファンクラブって、いわゆる情報機関誌を送るだけで、ファンとアーティストをちょっと隔てているものがあった。その間にある緩衝材のようなものを取ったスタイルをやってみたかったんです。『Uncle Cinnamon Club』はファンクラブというより、放課後にやるクラブ活動のようなもの。配信動画であったり、ファンクラブで先行的に曲を紹介したり、みんなが楽しむクラブにしたい。ファンに寄り添いたかったんです。

 先日も誕生日に生配信をしたのですが、多くのファンがリアルタイムで配信を見てくれて、こういう形もできるんだなと思いました。それもネット社会になったからできたこと。僕は今でもスマホも大して使えないけれど、時代にフローしていきたいと思っています。

――8月にはシングル「Cafe Uncle Cinnamon」をリリースされます。現在の肩書は「俳優・演出家」ですが、錦織さんにとって歌とはどんな位置付けなのでしょう。
【錦織】実は歌手になるとは思っていなかったんです。僕はもともと近藤真彦さんのファーストコンサートの時からずっとバックダンサーをやっていました。将来、自分はずっとこのままバックダンサーだろうなと考えていた。歌も、そのコンサートの中で3分間ほど僕たちのコーナーを持たせていただいて、その延長上で歌番組に出させてもらうようになった。デビューに至ったときでも、歌手でいこうという意識はなかったですね。

 この間、自分の資料を見返したら、歌手としてやっていた時期よりも、演技に携わる時期が多かった。最近、演出の仕事の方が8割から9割になってきていました。ただ今後について自分の中で今決めてはないんですよ。いいお話があれば舞台であったり、音楽であったり、表だったこともやりたい。これからはやりやすくなってるんじゃないかなと思ってます。

■今も体の中に残るジャニーさんの教え「置き土産をしてくれた」

――昨年12月31日をもって長年所属したジャニーズ事務所から退所されました。退所のきっかけはなんだったのでしょうか。
【錦織】退所の際のあいさつ文にも書いたように、僕は遅すぎたと思っているんですよ。やっぱりジャニーズ事務所は若い人たちの事務所であり、若い女の子たちがそこに集いたいという場所。僕はそこで老害でありたくなかった。

 他のグループは分からないですよ。後輩だけど僕らよりもすごいグループはいっぱいいて、みんなすてきなやつら。もしかしたら僕らよりも大きな問題を抱えていたのかもしれない。けれど、僕でいえば、なぜ退所の踏ん切りがついたかというと、ジャニー(喜多川)さんがいなくなり、甘えっぱなしだなと思ったんです。

 なにせ『PLAYZONE』で青山劇場を21歳から23年間使わせてもらっていたんだから。青山という若者たちが一番好きな場所で、夏休みという若者たちが一番好きな時期に23年間もやらせてもらった。後輩たちはいっぱいいたけれど、僕たちが陣取っちゃって、ずいぶんバトンを渡さなかったなって思いも、僕の中にはありました。

――退所はジャニーさんからの卒業というイメージなのでしょうか。
【錦織】卒業とは思っていないです。ジャニーさんはもちろんジャニーズ事務所の社長でしたよ。でも、僕の中でジャニーさんは芸能界の宝。芸能界が宝を失ったんだから。ジャニーさんの影響を受けて、他所でやられる方とかもいっぱいいます。蜷川幸雄さんや寺山修司さんたちと切磋琢磨してやってきた人ですし、財産として芸能界にとって大事なんです。

 僕は退所したところで、ジャニーさんの考えで物事を作っていくつもりでいます。ジャニーさんから卒業なんかできない。ジャニーさんにはずっと追いつけない、卒業証書を絶対もらえない人なんです。卒業できない、させてくれない。ジャニーさんにはなれないから。

――演出家についてもジャニーさんから学んだ部分は多い。
【錦織】僕は生前のジャニーさんと本当に若い頃から一緒に作ってきました。若い頃にジャニーさんに聞いたことがあるんです。「アーティストやタレントは曲や台本、脚本が用意されていて、演出家の先生がいて、レコードプロデューサーもいる。そういう人の言う通りにしているもの、与えてくれるものなんじゃないですか」って。するとジャニーさんから「何言ってるの。自分のことは自分でやるんだよ」って言われて。なるほど、そんなもんなのかと思ったんです。だから毎度楽曲を1曲作るたびに、ああでもないこうでもない、もう少しこうならないかとやってきた。

 僕が演出をやり始めた際に、取材で「演出になって変わった部分は何ですか」と聞かれるんだけど、やっていることはあんまり変わってないんですよ。『PLAYZONE』のときは、演出の方もいたけれど交通整理的な役割で、アイディアは僕が出したりと、希望が通る舞台でした。だから演出家になって幸せなことだと思うけれど、あまり構えずにできた。僕の体の中にジャニーさんが置き土産してくれたと思っています。

――舞台などで若い役者と関わることも多いですが、ジャニーさんから学んだことで、伝えなければいけないと思っていることはありますか。
【錦織】舞台というのは“接客業”であるということです。ジャニーさんが直接言ったわけではないのだけれど、長年ジャニーさんを見ていて、お客さんを楽しませることだけを考えていた。そのためには少しぐらいストーリーにひずみがあったりなど、細かいことは考えていませんでした。でも若い頃って生意気だから、細かいディティールなどにこわだるじゃないですか。僕もジャニーさんとぶつかったこともあったけれど、今考えるとジャニーさんが正解だったとすごくわかります。

ーー曲をどういう人に届けたいですか
【錦織】これからはこういうことも言っていいかなと思っているんですが、僕ぐらいの年代の人に聞いてもらいたい。今までは老若男女に聞いてもらうことを考えなきゃいけなかったんですけど。僕ぐらいの人が作って、僕ぐらいの年代の人が見に来てくれて、僕が歌ってというのをね。この間、配信でやった曲なんかはちょうどいいんじゃないかな。自然体に行けたらいいですか。

■錦織一清ソロプロジェクト
公式ファンクラブ『Uncle Cinnamon Club』開設
ソロシングル「Cafe Uncle Cinnamon」は8月に受注受付開始予定

公開:2021-08-01 06:00
更新:2021-08-01 17:35
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