レスリングの世界選手権女子62キロ級で元木咲良(さくら)選手(21)=育英大=が20日(日本時間21日)、決勝進出を果たし、パリ五輪の切符をつかんだ。酒田市出身の父康年さん(53)=海上自衛隊第3術科学校体育教官、埼玉県在住=はシドニー五輪日本代表で、本県ゆかりの「父娘オリンピアン」が誕生。康年さんは現地ベオグラードから、咲良選手の祖父母は同市で万感の思いを語った。
咲良選手は準決勝で勝つと、会場で声援を送った康年さんの下に駆け寄った。2人は固く握手。康年さんは取材に「自分が代表になれた時以上にうれしく、涙が込み上げた」と語った。
咲良選手は康年さんの影響で3歳からレスリングを埼玉県の「和光クラブ」で始めた。大会で試合に負けると、その後2日間は泣いて悔しがるほどの負けず嫌いで、練習に打ち込んだ。
高校と大学時に膝を2回負傷し、手術も2回経験。試練を克服し、昨年から世界選手権女子59キロ級3位、全日本選手権女子62キロ級優勝の実績を積んだ。「けがから復活した強さが好機をものにする執念につながった。『父娘で五輪』を意識し始めた」と康年さん。今大会は五輪を決めるまで付け入る隙を与えなかった。
酒田市十里塚に住む祖父章さん(78)と祖母八重美さん(79)には、21日未明に康年さんから電話があった。「そわそわしてあまり眠れていなかった」と八重美さん。新型コロナウイルス禍前は毎年のように訪れ、小学生当時は庭で水遊びをしてはしゃいでいた孫娘。2人は「良かった、頑張った」と目を細めた。
章さんは「康年はよくレスリングで『慌てるな、諦めるな』と言っていた」と話す。咲良選手のパリ五輪出場へ「その言葉通り、緊張しないで頑張ってきて」と願いを語った。
康年さんは自身の経験を踏まえ、取材に「世界選手権と五輪の雰囲気は別物」と説明した。「世界選手権が終わったら一度リラックスして、レベルアップしてほしい」と、後に続く娘へのエールを口にした。
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