最上義光、やっぱり長身だった 山形大・松尾名誉教授「奥羽永慶軍記」で確認

2022/6/25 11:31
奥羽永慶軍記(東京大史料編纂所所蔵)。①が最上義光、②が伊達政宗の容姿に関する部分

 初代山形藩主・最上義光の身長が180センチ以上と長身だったことを具体的に記した史料が存在することを山形大の松尾剛次名誉教授が確認した。史料は義光が生きた時代の東北地方を描いた「奥羽永慶軍記」で、東京大史料編纂所のデータベースから見つけた。同軍記から引用して義光の容姿に触れた本はあるが、具体的にどのページを引用しているか分からなかった。今回の発見で義光の長身伝説が裏付けられた。

 同軍記は天文から元和年間の東北全般の群雄争乱の跡を書いた軍記物語。義光の容貌が記されているのは「巻二十五」の前半で、豊臣秀吉の命令で全国の大名が朝鮮出兵のため京都をたつ場面だ。

 「最上義光緋縅(ひおどし)の鎧(よろい)に同色の兜(かぶと)、金作(きんづくり)の太刀、刀、薄紅の母衣(ほろ)」との身なりのほか「其丈(たけ)六尺余りし候、色白眼中涼しく、尋常ならざる大将也」などの記載がある。同じページで伊達政宗は「元来浅黒角別(かくべつ)にて小男也」と記されてある。

 政宗の身長は以前、埋葬されている墓の発掘調査で159センチだったという結果が残っている。同軍記の記載と矛盾がないことから義光の記載内容も「信ぴょう性が高い」と松尾名誉教授。義光は使っていた指揮棒が刀2本分の重さで、背が高く、怪力だったとのエピソードが残っているがこれまで裏付ける史料が確認されていなかった。

 同軍記は現在も活字本が流通しているが、内容が割愛されている部分も多く、今回松尾名誉教授が確認した義光の部分はない場合が多い。理由について松尾名誉教授は「まず自筆本が現存しない」と指摘する。

 写本は同編纂所や国立国会図書館、東北大付属図書館狩野文庫など全国何カ所かに収蔵されている。今回見つかった同編纂所は同軍記が計20冊あるが、冊数が少ない施設もあり、途中省略されている写本と推測される。現在、出回っている活字本は出版する際に参考にした史料が、今回の部分が省略されたものだったことが考えられる。

 最上義光歴史館の事務局長を務めた故片桐繁雄さんの著書「戦国の明星 最上義光」では、義光の身長が180センチ以上としているが、その部分の表現は一部のみで、前後の文脈や、同軍記のどの部分から引用したか分からなかった。同歴史館は「より詳しい史料で正確な表現を確認できたことは貴重」としている。

◆奥羽永慶軍記 秋田藩(現在の秋田県)の郷土史家戸部正直が記した軍記物語。元禄11(1698)年にまとめ上げた。当時の東北地方の史料が少なく、物語ではあるが多くの歴史家が引用している。

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