米沢出身・比嘉さん「戦争は誰もしたくない」 慰霊の日、沖縄で祈り

2022/6/24 11:54
慰霊の日に合わせ「山形の塔」の清掃を続けてきた沖縄在住山形県人会さくらんぼ会のメンバーら。前列左端が比嘉由紀子さん=2019年6月、沖縄県糸満市(同会のフェイスブックより)

 沖縄戦で失われた命を悼む「慰霊の日」の23日、米沢市出身で約50年前から沖縄で暮らす比嘉由紀子さん(72)=那覇市=も、静かに祈りをささげた。当時の戦闘では山形の兵士も多く犠牲となった。地中に残った不発弾の処理は今も日常的に行われ、上空には米軍機が飛ぶ。「戦争は誰もしたくない」。沖縄の本土復帰50年にも重ね、比嘉さんは強く思う。

 1973(昭和48)年、芳弘さん(故人)との結婚を機に沖縄へ渡った。親類や友人と交流を深める中で、県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦の傷跡を知った。小学生で沖縄戦を経験した親類の女性は懸命に逃げる中、気付いたら弟の手を離していた。さまよううち、長姉とは再会したが、一緒に逃げていた母や他のきょうだいはどこで死んだのかも分からない。比嘉さんが会いに行くたび女性が言う。「戦争をしちゃいけないよ。命(ぬち)どぅ宝(命こそ宝)だよ」。戦後、不発弾で父を失った友人もいる。

 不発弾は他県で見つかればニュースになるが、沖縄では特別なことではなくなってしまっている。米兵が絡む事件もなくならず、比嘉さんの自宅の上を米軍輸送機オスプレイが飛ぶ。「沖縄の人たちは身をもって戦争を経験してきた。本土復帰から50年たっても変わらない現状に怒るのは無理もない」と感じる。

 警察官だった夫芳弘さんは、復活祭(イースター)などの行事で米軍基地に招かれることがあった。比嘉さんも一緒に訪れ、指がない米兵と出会った。芳弘さんが尋ねると、米兵は「ベトナム戦争で負傷した」という。母国で仕事がなく、軍人になる人がいるとも聞いた。「あの人たちだって戦争に行きたくなかっただろうに」と思う。

 比嘉さんも所属する沖縄在住山形県人会さくらんぼ会は、「慰霊の日」などに合わせ、沖縄戦で犠牲になった本県出身者を悼む「山形の塔」(糸満市)への参拝を続けている。コロナ禍前は、比嘉さんも清掃し、ワラビの煮物など古里の味を供えて手を合わせてきた。「帰りたかった故郷に帰ってね」と声を掛けて。

 沖縄では今、侵攻を受けるウクライナの現状と自分たちを重ねる人がいるという。比嘉さんも「有事の際、真っ先に狙われるのは沖縄では」と危惧する。「戦争はなかなかなくならない。どうすればいいんだろうね」。もどかしさは消えないままだ。

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