「極限の死」しわに刻む 長沼孝三が創作、長井・彫塑館で展示

2021/12/9 08:44
南雲忠一の戦死を悼み長沼孝三が創作した「サイパン玉砕」=長井市・長沼孝三彫塑館

 日米開戦から8日で80年を迎えた。戦端を開いたハワイ・真珠湾攻撃を指揮したのは米沢市出身の海軍中将(当時)南雲忠一だった。南雲と親交があった長井市出身の彫刻家長沼孝三が追悼で創作した猛将の像は、額に深いしわを刻んだ険しい表情で当時の人々の思いを訴えかけている。長沼孝三彫塑館(長井市)は12月の期間限定で像を展示している。

真珠湾攻撃指揮、南雲中将の追悼像

 南雲は1887(明治20)年、米沢市生まれ。空母を主力とする第一航空艦隊司令長官として、1941(昭和16)12月8日、真珠湾攻撃を指揮した。

 「サイパン玉砕」と名付けられた像は、44年にサイパン島玉砕による南雲戦死の一報を聞いた長沼が「南雲らと島民の極限の死を想い、無我夢中で即興的に創った彫刻」と伝えられる。長沼は兄・市太郎を通じて知り合い、南雲がアトリエに遊びに来るなど親交が深かったという。

 石こう像は幅60.5センチ、奥行き55センチ、高さ108センチ。柔らかなフォルムを追求してきた主要な作品と異なり、鉄さびのように着色され、険しい表情は力強く重々しい。側面や上部に赤ちゃんを抱いた女性像やうなだれる女性像があり、左背面の下帯姿の男性像が守るように左腕を広げている。作品は発表されないまま、アトリエに眠っていたとの逸話も残っている。

 同館では毎年、終戦の8月に合わせて像を展示してきたが、今回は真珠湾攻撃80年に合わせて特別展示した。「戦時下の軍人として、さまざまな人の思いを背負った南雲忠一が表現されているのではないか」と同館の後藤拓朗事務局長。「戦争に関する長沼作品の多くは悲しみや苦しみが伝わってくる。死の知らせを聞いて即興的に創作したエピソードも含めて、ピカソのゲルニカのような位置づけの特殊な作品であり、代表作の一つだと思う」と話していた。

“赤紙”配り平和訴え、山形、母親大会連絡会

「赤紙」を配り、平和の大切さを訴えた街頭活動=山形市・JR山形駅東西自由通路

 真珠湾攻撃の日に合わせ、山形地区母親大会連絡会は8日、山形市のJR山形駅東西自由通路で平和を訴える街頭活動をした。

 会員約10人が参加した。旧日本軍の召集令状の「赤紙」を模したチラシ100枚を用意し、通行人に手渡した。受け取った同市双葉町2丁目、会社員須藤魁斗さん(22)は「実際に赤紙をみると、戦争の怖さを実感する。忘れないようにしたい」と話した。

 この日は酒田、鶴岡、米沢でも同様の活動が行われた。末広かなえ会長は「戦争は決して昔のことではない。平和な日本を次世代につないでほしい」と語った。

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