知の拠点、愛され120年 遠藤書店(山形)、書籍部門終幕へ

2021/11/30 10:41
開業間もないころに撮影されたとみられる山形市七日町の目抜き通りの写真。奥が現在の文翔館の方向で、左端に遠藤書店が写っている(遠藤書店提供)

 歌人結城哀草果ら山形の文化人が集うサロンでもあった山形市の「遠藤書店」が30日、書店としての歴史に幕を下ろす。1902(明治35)年に七日町の目抜き通りに開店して約120年。創業者の遠藤純平さんは旧制山形高校(現山形大)の誘致にも奔走したといい、教育・人文関連の本がそろう書店として多くの教育者、学生の探究を支えてきた。会社は同社が入るアズ七日町の管理運営と衣料品雑貨販売で継続する。

 遠藤書店は創業者・純平さんが現在のアズ七日町がある場所に開いた書店が始まりだ。純平さんの父・司さんは兄と共に山形新聞の前身の鳴時(めいじ)社を開業した人物。純平さんも旧山形高の誘致に尽力したとの話も残っている。遠藤書店はまた、結城哀草果のほか、「岩波英和辞典」などの編著で知られる英語学者の田中菊雄や、ドイツ語教師として招聘(しょうへい)されていたハンス・ティーデマンなど旧山形高、山形大の教授らそうそうたる顔ぶれが常連だった。山形新聞の記者たちも集っていた。

 「書店の2階が座敷になっていて、山高、山大のいろんな先生方がお茶を飲みながら話していたと聞いている」。現在の社長の遠藤澄男さん(78)は懐かしむ。教科書、教材を数多く扱い、特に人文関連書籍の品ぞろえは、地方の書店として突出していたという。純平さんは結城哀草果が門人だった斎藤茂吉のファンで、直筆ではないものの茂吉の作品の手書き原稿が自宅で見つかったこともある。鳴時社の開業を祝い、名筆家として名高い斎藤篤信(県師範学校初代校長)が記した七言絶句の漢詩も保有しており、2015年に山形新聞社に寄贈した。

 かつては「支払いはある時でいい」と、お金のない学生たちの学びも支えたという。澄男さんが商店街の業務で県外を訪れた際には、訪問先の自治体幹部から「山形東高時代にお世話になった」とお礼を言われたこともある。「15歳から78歳までずっとお世話になってますよと言ってくれる方もいて、思いをかけてくれた人がたくさんいたことは本当にありがたかった」と澄男さんの妻・節子さん(72)は頭を下げる。

 書店の店舗は08年に閉じ、教科書や雑誌を注文に応じて届ける業務は続けていたが、書籍部門の後継者がおらず、書店としての役割を終えることを決めた。山形の人々の学びや文化を支え、心を豊かにする場所だった遠藤書店。「私たちがそのお手伝いをできたのなら、うれしいことですね」。澄男さんと節子さんはほほ笑んだ。

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