フィリピンで戦死、酒田の佐藤好さんの日章旗 76年の時経て遺族に返還

2021/9/22 21:36
フィリピンで戦死した、おじの佐藤好さんの日章旗を丸山至市長から受け取った佐藤厚さん(右)=酒田市地域福祉センター

 第2次世界大戦で旧平田村(現酒田市)から出征し、フィリピンで戦死した佐藤好(よしみ)さんの日章旗が22日、76年の時を経て遺族の元に届けられた。受け取ったのはただ1人の肉親で、おいの会社員佐藤厚さん(69)=同市若宮町2丁目。厚さんは「ようやく、おじは古里に帰ることができた。若くして散った息子が帰り、亡くなった祖父母も安堵(あんど)していると思う」と語った。

 佐藤さんは陸軍野戦重砲兵第22連隊に所属し、終戦2カ月ほど前の1945(昭和20)年6月20日、ルソン島のマニラ東方約30キロ地点で戦死したとされる。25歳だった。佐藤さんの日章旗は、フィリピン戦線に米兵として赴いたドナルド・ストルニアーさんの義父が戦利品として米国に持ち帰っていた。義父の死後、遺品整理をしていてストルニアーさんが発見した。

 米国では近年、先の大戦に参戦した米兵の遺品整理により、戦地から持ち帰った日本兵の日章旗や写真などが見つかるケースが増えている。NPO法人などが遺族に返還する活動をしており、佐藤さんの日章旗も「OBONソサエティ」というNPO法人が仲介し、日本遺族会、同市の平田遺族会、市社会福祉協議会などを通して厚さんの元に返された。

 「祝入営 佐藤好君」「祈武運長久」…。市地域福祉センターでの返還式で広げられた日章旗には、力強い書体の激励と、何人もの名前が日の丸の周りに書かれていた。穴が空き色あせてはいるものの、戦地に散ったおじのただ一つの遺品。厚さんは、感慨深そうに見つめ、丸山至市長から丁寧な手つきで受け取った。

 佐藤さんは独身のまま戦死し、今や佐藤さんを知る肉親は厚さんだけだ。日章旗返還の情報は平田遺族会に2年前にあったが、酒田市から出征し、戦死したのは陸海軍合わせて3316人。手掛かりは少なく、人づてに厚さんに行き着くまでには半年以上かかった。さらに新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、返還が遅れた。

 厚さんの父も海軍兵として出征したが、復員することができた。「おじのことは写真でしか見たことがないが、相撲が強い人だったと父から聞いた。どんな状況で戦死したかは詳しくは分からないままだ」と厚さん。祖父母や父の墓前に報告後、日章旗は多くの人が見られるようにしたいと考えている。

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