長瀞陣屋正門、炎を越えて 東根・150年以上前の遺構、今は禅会寺山門か

2021/7/14 12:41
移築された長瀞陣屋の正門である可能性が高いという禅会寺の山門。永井康雄教授(右)と門叶冬樹教授が視察した=東根市長瀞

 山形城4代城主・最上満家の菩提(ぼだい)寺である東根市長瀞の禅会寺(ぜんえじ)(佐々木邦夫住職)にある山門が、山形大による調査の結果、江戸時代に置かれた長瀞陣屋から移築された正門である可能性の高いことが分かった。陣屋は少なくとも2度火災に遭っているが、正門は焼失を免れたと推察される。調査に当たった同大工学部の永井康雄教授(建築史学)は「山門は長瀞陣屋の歴史遺構であり、特色ある地域づくりに生かしてほしい」としている。

 長瀞陣屋は、1622(元和8)年の最上家改易後、1798(寛政10)年に入部し幕府から長瀞の地を拝領した米津(よねきつ)通政が置いたとされる。「長瀞城」は城の構えでありながら「陣屋」と称され、正門は東側に設けられたという。禅会寺の山門は正門を移築したものと伝えられてきたが、それを裏付ける資料はなかった。

 永井教授は同大高感度加速器質量分析センター長の門叶(とかない)冬樹教授の協力を得て高感度加速器質量分析装置(AMS)を活用し、山門の部材に含まれる炭素割合による年代測定を実施。梁(はり)は1815~38年、丸桁は1810~44年との結果が出た。

 陣屋では1822(文政5)年と1868(慶応4)年の2回にわたり火災が発生しており、このうち1822年の火災の様子を記述した「長瀞御役所日記」では火災は陣屋西側に限定され、正門の焼失は免れたと推定されるという。

 また、戊辰戦争直前の陣屋の様子を記した「米津氏長瀞陣屋絵図」では、山門によく似た特徴を持つ正門が描かれている。永井教授は「炭素年代測定による部材の年代などから総合的に判断すると、慶応時の火災で正門は焼失せず、後に移築されたと考えられる」と分析している。

 佐々木住職は「山門を見学に訪れる人も多い。今後は移築された正門ということで遺構をアピールしたい」としている。

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