1964から明日へ 県内聖火リレー、いよいよ

2021/6/5 10:26
聖火ランナーが旧県庁(文翔館)に到着し、広場を埋めた観衆が出迎えた。バルコニーでは聖火台に火が移された=1964年9月27日、山形市

 県内での東京五輪聖火リレーが6、7の両日に行われる。前回、五輪の聖火リレーが県内を駆けたのは1964(昭和39)年9月26~30日、ルートは真室川町から小国町までだった。沿道では多くの県民がランナーを激励した。2日目、27日の到着地、山形市の旧県庁(文翔館)前では観衆が熱狂した。本紙カメラマンが撮影した写真は、庁舎前広場を埋め尽くす人々を捉えている。翌日の朝刊には「広場は人、人、人。芝生の上も、石垣も、車庫の屋根までも身動きならない2万人で埋まった」とある。

 新型コロナウイルスの影響で、今回の聖火リレーは人々が寄せる思いも前回とは異なる部分がある。感染予防のため群衆による盛り上がりも見ることができないが、57年前の感動は受け継がれている。当時、文翔館まで伴走したランナーは聖火を握り先導してくれた亡き先輩を思い、また、飯豊町を走った女性は、今回、米沢市を走る孫娘に経験を伝え、当日を心待ちにしている。

先輩、みんなで乗り越えるよ~感動、仲間と走った県都

当時の聖火リレーの写真を見て懐かしむ小山寛さん=山形市

 当時山形大付属中3年の小山寛さん(71)=県スポーツ協会顧問=は、陸上部の仲間たち約20人と聖火ランナーの伴走役を担った。山形市旅篭町周辺から山形銀行本店のそばを通り、文翔館までの区間で大役を果たし、「沿道にはものすごい人がいて緊張したが、一生懸命走った」と当時の心境を振り返った。

 伴走役は中学の先生から突然告げられた。走っているときのことは、役割を全うするのに必死でよく覚えていない。列を乱さないよう意識し、セレモニーでは一斉に五輪マークの旗を掲げた。スタート直前に撮られた写真からは、仲間たちの緊張感が伝わってくる。「いつも笑いを振りまいていたような子が、横を向いてそわそわしてるね」と笑った。

 縁もあった。その時の聖火を運んだのは山形南高陸上部2年の大沼幸一さん。その後同校に進学して大沼さんとは先輩後輩となり、大学卒業後は偶然にも県庁で共に働いた。「五輪がきっかけで一生の付き合いになった」と感じている。先輩は2年前、2度目の東京五輪を楽しみにしながら亡くなった。小山さんは写真の中の大沼さんに語りかけた。「先輩、聖火リレーが始まるよ。世の中コロナで大変だけど、みんなで頑張って乗り越えるよ」

おばあちゃんとつながってるなー~大役、孫娘が受け継ぐ・米沢

出発地点の上杉神社を背に意気込みを語る羽生汐音さん(右)と57年前に飯豊町で伴走者を務めた祖母の菅野敏江さん=米沢市

 そして、57年の時を超え、同じように東京五輪聖火リレーの伴走者を務める祖母と孫がいる。今回走るのが米沢市三沢東部小6年の羽生汐音(しおん)さん(11)、かつてのランナーが祖母の菅野敏江さん(73)=川西町時田=だ。

 汐音さんが、学校代表でサポートランナーに選ばれたと伝えたところ、敏江さんは「(伴走で)私も走ったよ」と一言。娘で汐音さんの母の恵美さん(43)も知らなかった。汐音さんのサプライズのつもりが、逆に驚かされる結果となった。敏江さんは高校2年生の時、地元・飯豊町の山あいの区間を走った。中継所付近しか民家がないような穏やかなコース。今回ほど聖火リレーが話題になることもなかったというが、天気が良く、一生懸命走ったことは覚えている。バレーボールの試合を見るのが楽しみで、「五輪ということで、はやるような気持ちはあった」と記憶をたどる。

 汐音さんは「おばあちゃんとつながってるなーと、うれしい。貴重な機会なので、胸を張って頑張りたい」と笑顔を見せる。敏江さんはそんな孫を見つめ、「思いがけないことがあるんだなと思う。めったにないことだから思い切り走ってほしい」とエールを送った。汐音さんは6日、米沢市の第1区間を駆け抜ける。

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