最古の義光「宛行状」見つかる 1572年に家臣へ、五十嵐さん(朝日)が入手

2021/2/26 09:35
最上義光が家臣に領土を与えた際に発行したとみられる「宛行状」。左から西村山地域史研究会の安部新蔵さん、五十嵐義一さん、鈴木勲会長=河北町

 最上義光が父義守から家督を継いで間もない1572(元亀3)年、家臣に領土を与える際に出したとみられる版刻花押入りの「宛行(あてがい)状」が見つかった。西村山地域史研究会理事の五十嵐義一さん(71)=朝日町玉ノ井=が入手した。宛行状は主従関係を表すものであり、写しでない義光による宛行状としては最も古いという。義光に詳しい伊藤清郎山形大名誉教授(72)は、領国支配や家臣団形成の過程を研究する上で貴重な史料としている。

 宛行状は縦30.6センチ、横49.4センチ。「安達藤三郎」に宛てたもので、「六槲之内(ろっこくのうち)千五百五十かり 東原畠仁百地相添候(はたけにひゃくちあいそえそうろう) 可致成敗候者也」とある。同研究会の鈴木勲会長(83)=河北町谷地=によると、「六槲」は現在の山形市鉄砲町の六椹(むつくぬぎ)八幡宮周辺の土地で、「東原」は同市東原と推察できる。

 宛行状の日付は3月17日とあり、同日に他の家臣に出した宛行状の写しがこれまでに見つかっている。鈴木会長は「義光が3月17日に同様の宛行状を複数発行した証しとなり、どのように権力を確立していったかを分析する上でも大変貴重だ」と評価する。

 義光の花押入りの書状としては、1570年の「立石寺宛最上義光願文」に次いで2番目に古いという。慶長年間(1596~1615年)の山形城改修以前に「六槲」や「東原」に田畑があったことが分かり、史料がほとんど残っていない山形市街地の当時の姿の研究にも役立つ可能性があるという。

 五十嵐さんは昨年10月ごろ、美術商を通じて宛行状を入手した。「見た瞬間に本物だと思った」とし、購入を決め、鈴木会長に連絡した。その後、義光関連の書籍を多く執筆している伊藤名誉教授が本物かどうか確認した。

 伊藤名誉教授は「これほどきれいな義光の版刻花押は大変貴重で、本物で間違いなさそうだ」とし、「権力をこれから確立していこうとする時期のもので、地盤を築き上げる過程が細かく分析できるようになる」と話す。また、宛行状の文字の多くが漢字で記され、家臣の宛名に「殿」を付けていることにも注目し、「家督を継いだばかりだからなのか、家臣に対して非常に丁寧な印象だ」と分析する。山形市の最上義光歴史館の学芸員揚妻昭一郎さん(54)は「この時期の義光の史料は非常に少なく、研究の指針になる」と語った。

 五十嵐さんは「個人の宝ではなく、県民の宝だと思っている。ゆくゆくは、しかるべき施設への寄託も考えたい」とし、「最上家の研究が進むことを期待したい」と語った。鈴木会長は「宛行状の展示や勉強会なども開きたい」と話した。

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