駅伝の原点・山形に恩返し 南相馬から避難の佐々木さん、箱根も経験

2021/2/24 11:55
目標に向かって走り続ける佐々木守さん。帰省中に取材に応じた=2021年1月2日、山形市

 「地震や津波よりも、みんなが必死に逃げている光景が怖かった―」。福島県南相馬市出身の佐々木守さん(23)は、2011年の東日本大震災をこう振り返る。実家は流され、親類も津波で亡くした。だが避難してきた山形で駅伝に出合い、大学で箱根駅伝も経験した。現在は愛知県東海市の実業団に所属し、「応援してくれる山形の友人へ恩返しをしたい」という思いを胸に競技を続けている。

 震災が起きた3月11日、南相馬市の小高(おだか)中で野球部の練習に打ち込んでいた佐々木さんは、立っていられないほどの揺れを感じた。高台までの崖を「死ぬかもしれない」と思いながら必死によじ登った。雨も降っていないのに聞こえてきた「ゴォー」という雷のような音は、津波が町をのみ込んでいく音だった。

 着の身着のまま、体育館に3日間避難。その後、原発が爆発した影響で避難したホテルで2日間ほどを過ごした。3月から父の仕事の関係で山形市へ転居。転校先の山形十中で新学期を迎えたが、不安よりも新しい友達ができる期待の方が大きかった。

 そこで人生を変える出会いがあった。佐々木さんを駅伝の道に導いた、当時同校に在籍していた荒木誠司教諭だった。厳しい練習に必死に食らいつき、県中学駅伝ではアンカーを任され優勝を果たした。荒木教諭は「練習で遅れそうになるチームメートに声を掛けるなど、誰よりもチーム思いだった」と佐々木さんを評し、「ゴールテープを切る姿を福島の人たちに見てもらおうと思った」と抜てきした理由を振り返る。

 迎えた全国中学駅伝。その前日に書いた決意表明の手紙で、最後の一文は自然と「ありがとう十中」になった。「他県から来た自分を受け入れてくれたチームのために結果を出したい」と奮起し区間2位の快走を見せ、チームは県勢過去最高の5位入賞を果たした。

 進学した山形中央高で本格的に陸上に取り組んだ。朝練習には誰よりも早く集合し、持ち前の根気強さで日々練習を積み重ねた。その姿勢を評価され、高校、大学と駅伝の主将を任された。県縦断駅伝競走大会(山形新聞、山形放送、山形陸上競技協会など主催)には高校、大学時に山形チームの一員として計3回出場し、現在は愛知県の実業団で元日のニューイヤー駅伝に出ることを目標にしている。

 震災から10年たって思うことは「山形の『人』に恵まれた」、この一言に尽きる。「被災者」としてでなく、地元の人と同じように受け入れてくれたことがうれしく、日々の原動力になっているという。今年はニューイヤー駅伝のメンバーに選ばれたものの出場はかなわず、来季に闘志を燃やす。「応援してくれる山形の人たちを元気にする走りをしたい」と今後の目標を語る。

 【プロフィル】ささき・まもる 山形十中で駅伝を始め、山形中央高を経て群馬県の上武大に進学し、箱根駅伝で2年時は10区、3年時には山下りの6区を駆け抜けた。現在は愛知製鋼陸上競技部所属。

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