赤湯の公衆浴場、曲がり角 利用者減、進む統廃合

2021/1/5 11:38

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 生活に深く根付き、古くから親しまれてきた南陽市赤湯の公衆浴場が、生活スタイルの変化の中で転換期を迎えている。公衆浴場の年間利用者数は昭和の後期からほぼ半減し、今後は施設の統廃合も進む。住民らは一時代の終焉(しゅうえん)に寂しさを募らせる一方で、新たに整備される温泉施設に期待を寄せ、「湯のまち」の再生を願っている。

 赤湯町史によると、江戸期の赤湯温泉は、上杉鷹山を始めとする多くの藩主らが入湯し、湯治客でにぎわった。明治初年を紹介した項目には「共同浴場だけがあって、内湯旅館がなかった赤湯にも…」との表記があり、江戸期にはすでに住民の生活の一部となっていたようだ。大正期には「共同浴場が足りないと町民の要望があった」との記述もある。

 記録の残る中で利用が最も多かったのは1963(昭和38)年で、年間116万616人が足を運んだ。70~80年代ごろまでは家庭に風呂場がなかったり、あっても燃料代などを考慮すれば公衆浴場での入湯料金(10~50円)のほうが安かったりと、昭和期後期までは年60万人以上の利用があった。

 だが、平成以降は利用が激減する。89年度に60万人を割り込むと、92年度は40万人台、2005年度には30万人台となり、直近の19年度は34万7460人だった。

 減少の要因について市は「自宅に浴室を整備する人が増えるなど生活スタイルが大きく変わった。施設の老朽化も影響している」と分析する。現在の利用者は8割以上が50歳以上で、若年層はシャワー数の不足といった設備面に不満を抱え、利用が伸びていない。

 公衆浴場を運営する赤湯財産区の神尾伸一管理会長は「公衆浴場の交流はまさに『裸の付き合い』で、身分や立場に関係なく触れ合えた。多くの人にとって交流の場だった」と往時を懐かしむ。

 一方、22年に整備予定の新温浴施設はイベント開催や交流ラウンジの設置も予定され、こうしたコミュニティー機能に関して市民の中には前向きな意見が多い。神尾さんは「若い人たちも子連れで安心して利用でき、障害者も使える施設にしたい。公衆浴場文化は市の財産。その火を絶やすことなく守り続けていければ」と話している。

赤湯温泉 1093(寛治7)年、奥州統一を目指した源義家の弟・義綱が発見したとされる。戦で傷ついた家来たちを湯に入れると傷が治り、傷から出た血で温泉が深紅に染まったことから「赤湯」と呼ばれるようになったと、その名の由来が語り継がれている。赤湯地区は財産区が運営する低額で地域密着型の公衆浴場が2007年度まで5カ所残るなど、温泉文化が住民生活と密接に関わっている。22年度には3カ所となる見通し。

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