2013、14年と昨年の大規模豪雨で3度の浸水被害に遭った南陽市太郎の清水勝さん(69)が、自宅を移すことを決意し昨秋、先祖代々100年以上にわたって住み続けてきた家を離れた。度重なる被災で大きな経済的負担を強いられたが、やっとの思いで手に入れた「安心と安らぎ」。家族や遠く離れて暮らす孫らを心の支えに、移転先での新たな生活が始まった。
同市シルバー人材センターに登録する清水さんは妻よし子さん(69)、父貞吉さん(97)、母ヨシ子さん(92)の4人暮らし。太郎地区は山間部の集落で、長年住んだ自宅の南西側を吉野川が流れる。平常時の流れは穏やかで、幼い頃はプール代わりだった。どんな大雨が降っても川が越水した記憶はなかった。
恐怖増幅
そんな清流が13年、初めて牙をむいた。雨音は、それまで耳にしたことのある「ザー」ではなく「ドー」だった。あっという間に胸まで水に漬かり、隣接する小屋には流木や木の根が入り込む。大石がゴロゴロと流れる振動が体に伝わり、恐怖を増幅させた。「小屋のものは全てが流された。タイヤや除雪機、210キロの米はおろか、くぎ1本すらなくなった」
しかし、まだ立ち直る気力はあった。数百万円かけて壁を塗り替え家電製品を購入し、ふすまや32枚の畳も入れ替えた。資金を工面できずにそのまま使った家具もあったが、木材が水を含んで膨らみ、開きにくくなっていた。
やっとの思いで日常を取り戻したと思ったのもつかの間、1年もたたずに翌14年、2度目の豪雨に見舞われ、今度は気力さえ奪われた。朝も起き上がれず、妻からは通院や薬の服用を勧められた。貯金を取り崩し再建を図ったものの畳は買えず、合板の上にござを敷いてその代わりとした。
体重激減
「(豪雨が)また来るかもしれない」と日々、不安を募らせる中で昨年7月、3度目の豪雨に襲われた。「何で3回も」「何か悪いことをしたのだろうか」。妻は寝られなくなり、他人から見て分かるほど体重が激減した。
だが山菜などの山の恵みをはじめ、生まれた時から生活している太郎地区を離れる気になれなかった。そんな時、地区内の空き家の関係者から「使わないか」と声を掛けられた。親戚に協力してもらい資金をかき集め、移転費用の2分の1(上限500万円)を補助する行政の支援策も議会で可決された。リフォームを終え11月、新たな自宅での暮らしが始まった。
以前の住まいは今、更地になり小屋だけが残っている。移転先の住宅は手狭だが豪雨の不安に駆られることはなくなった。「お金はかかったが、多くの人の善意で安住の地を手に入れることができた。安心して生活できることが何よりだ」と、清水さんは何度も繰り返した。
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