わいわい子育て

やまがた“親”物語

タレント・橋本マナミさん(山形出身)の母・細川利恵子さん

2021年5月4日掲載

 本県ゆかりの著名人の親に子育てのつぼを聞く「親物語」。今回は山形市出身のタレント橋本マナミさん(36)の母・細川利恵子さん(63)を訪ねた。

4歳のころのマナミさん(手前右)。青森ねぶた祭を見に青森市を訪れ、父の友人宅で撮影)
4歳のころのマナミさん(手前右)。青森ねぶた祭を見に青森市を訪れ、父の友人宅で撮影

 -マナミさんは2015年ごろからドラマやバラエティー番組で注目を集めるようになった。そのころと今では、マナミさんに対する思いが変わってきたそうですね。

 「この5~6年、マナミの小さい頃のことを聞かれると、こんな遊びをしていました、こんな子でしたと話していたけど…。結婚して母になったマナミを見ていると、内面の成長ばかりが浮かんでくる。今は1人の人間として安心して見ている。親は60歳を過ぎると仕事も子育ても一区切りなんだね。こんなに気持ちが変わったことに自分でもびっくりしている」

 -そんな中であえてお聞きしますが、マナミさんはどんな子どもでしたか。

 「小学校低学年の頃はぷっくりちゃんだったけど、6年生で身長が10センチ伸びて160センチに。大きい方だった。本当におとなしい子で目立つのが好きじゃなかったけど、学校の先生が、鼓笛隊の先頭や運動会の聖火ランナーなどをマナミに任せてくれて、人前に出るきっかけを作ってくれた」

 -マナミさんが1歳半の時に弟が生まれた。

 「病気がちだった下の子に専念する感じになっちゃった。6歳ぐらいまでかな。マナミは甘えたい年ごろだったのに、お姉ちゃん扱いしちゃった。子どもながらに我慢していたと6年前のインタビュー記事で知り、『つらい思いをさせたと感じている。言いたいことを言わせない雰囲気があったよね』と改めて本人に謝った」

 -きょうだい仲は良かった?

 「マナミは弟と遊んでいるのが楽しかったみたい。静かにやんちゃに遊ぶって感じ。鬼ごっこをしたり、ウルトラマンごっこをしたり。冬は防寒具を着て雪の上をころころ転がって、そり滑りをして。自転車乗りも好き。坂をものすごいスピードで下りてきて、ブレーキを掛けて転んじゃったこともある。結構けがをしているのよ。弟もお姉ちゃんが大好きで、いつもくっついていた」

 -中学1年の時に「第7回全日本国民的美少女コンテスト」で演技部門賞を獲得した。

 「小学6年の冬に劇団員研修生募集の広告を見て、こういうのを受けたいと言った。おとなしくて、わがままを言ったり、おねだりをしたりする子じゃなかったのでびっくりした。でもはぐらかしちゃいけない、研修生の1人じゃなくて才能があるかないかを見極めてもらおうと思った。たまたま国民的美少女コンテストがあることを知って応募した」

 「自分の子どもの可能性なんて、小学生ではまだ分からないじゃないですか。でも、東京でオーディションに臨む姿を見てこの子は本気だと思った。大きなステージでライトを浴び、マイクを着けての本選。演技、歌、水着の審査に気後れすることなく臨み、実力以上の出来栄えだった。マナミは前だけを見据えていた。マナミへの信頼が生まれた瞬間。それからずっと消えていない。信頼があったからこそ、芽が出ないときも『やめたらいいんねがは』ではなく、励ましの言葉に変えることができた」

 -高校2年の冬に東京の学校に転校した。不安はなかった?

マナミさんが靴を履いて初めて外を歩いた日の一枚。利恵子さんは「よちよち歩きだから転んで泣いちゃったのかな」と振り返る
マナミさんが靴を履いて初めて外を歩いた日の一枚。利恵子さんは「よちよち歩きだから転んで泣いちゃったのかな」と振り返る

 「いつかは1人で生きていかなきゃいけない。私自身、両親を早くに亡くし、人生の選択や決断、そして失敗も全て自分の責任という環境で生きてきたので、最初から親に頼らないようにした方が、その後生きていきやすいと考えた。困ったときはどうしたらいいのかを、娘にも自分で考えて生きていってほしいなと思って、あえて放り出した」

 -マナミさんは昨年7月に男児を出産し母に。仕事にも復帰した。

 「子育てをするようになって『子どもが具合悪いときに親はどんな気持ちになるのか分かった。(小さい頃に私が我慢しなくちゃいけなかったのは)仕方なかったよね』と言ってくれた。母になってくれて、そういう話ができるようになった。復帰後に出演したドラマでは、すごく生き生きとしていた。とても良い表情をしていた。そういう顔ができる仕事を選んだんだ。頑張ってやっている姿を見て、女優の仕事をずっと続けていってほしいなと思った」

 -マナミさんへの強い信頼感が伝わってきます。

 「これからも“友達親子”にはならず、違うと思ったら『私なら、こう考えるな』と意見を言うと思う。私もそう言ってくれる人が欲しかったから。でも、その後どうするかは本人次第、頼ってきたら全力でサポートするスタンスでいきたい。また放り出しちゃっているかなと思うけど、今は旦那さんが支えてくれるし、マナミと私はちょうどいい関係なんじゃないかな。そうであれば、私たち親子は花丸としてもらってもいいのかな」

マナミさんから家族へ

 私は親の愛情を存分にもらって山形で育ちました。小学6年生の時、芸能界に入りたいと言った時も、反対するどころか背中を押して応援してくれました。東京に出てきて夢が思い通りにかなわず、くじけそうになった時もやめずに続けてこられたのは、親の愛情と支えてくれる家族の存在があったからです。

 昨年、私も子どもを産み、わが子の不安な世界への挑戦や上京する時の心配はかなりのものだっただろうと親の気持ちが分かるようになりました。そんな思いも見せずにずっと応援してくれる家族には感謝の気持ちでいっぱいです。私も息子にとってそういう親になれたらと思っています。

メモはしもと・まなみ
橋本マナミさん
橋本マナミさん

 1984年山形市生まれ。山形五中1年の時に第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を獲得し、芸能界入り。2012年に現在の事務所に移籍し、芸名を本名の「愛実」から「マナミ」に改める。グラビアやバラエティー番組などで注目を集め、NHK大河ドラマや映画に出演し、女優としても活躍の場を広げる。1児の母。


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