パラ競泳選手・東海林大さんの父・正樹さん、母・美恵子さん
本県出身のスポーツ選手など著名人の親に子育てのつぼを聞く「親物語」。今回はパラ競泳選手東海林大さん(21)=山形市=の父正樹さん(57)と、母美恵子さん(54)を訪ねた。
-大さんはどんな子どもだった?
母 根がラテン系。音楽が鳴ると踊りだすひょうきんなところがあり、明るく元気な感じだった。
父 一人遊びが多かった。工作は自分で考え、黙々とやっていた。セロハンテープを使って人形を作るときは、1日1個のペースで使うから、すぐなくなっちゃって。
-家族の思い出で印象に残っていることを教えて。
母 小学校低学年まではよくキャンプに行った。ある時、雨がざんざん降った。親はせっかくキャンプに来たのにと思うけど、子どもたちは大人用の大きなかっぱを着て雨に打たれ、とっても楽しそうだった。
父 山や野原に行くと、イタドリという草が生えている。中が空洞になっているから、棒でたたくとスパッと切れていい手応えがある。わが家では居合切りならぬ「イタドリ切り」という名を付け、原っぱ一面に広がるイタドリを切っていた。大も、一つ上のお兄ちゃんも、私も。
母 イタドリを見つければ、きっと大は今でもやるよ。
-年子で大さんは自閉症。子育ては大変だったと思う。
母 大は体を動かすことには問題がなかったから、お兄ちゃんと一緒にそれはもう活発に動き回って。ただ4歳まで意味のある言葉が全く出なかったので、意思疎通がうまくできなかった。周りが言っていることが理解できないし、私たちも大が何を望んでいるのかがなかなか分からなかった。そういう点では手探り状態だった。
-パラ競泳で東京パラリンピック代表に内定した。水泳を始めたきっかけは。
母 お兄ちゃんに水泳を習わせようと考えたときに、どうせだったら2人一緒にという軽い気持ちから。大は水が好きだったし、水遊びの延長のような感じで楽しかったみたい。一定のレベルまでいけば進級できるスイミングクラブの仕組みも励みになったようだ。
父 中学校で全中(全国中学校体育大会)に出るのを目標に頑張っていたがかなわず、挫折感を味わった。ただただ悲しみに暮れるという感じで、こちらは寄り添うしかなかった。高等養護学校入学と同時にパラ水泳に転向し、いい記録を出すようになった。
-子育てで大切にしてきたことは。
母 大が落ち着いて話せるような環境をつくって、自分の思っていることを表現させるように気を付けていたかな。これは今も続けている。外に一歩出てしまうとものすごい緊張の連続で疲れ果てて帰ってくるから、家では誰にも気兼ねしなくていいんだよって、のんびり過ごせるようにしてきたつもり。
-これまでを振り返り、今はどんな気持ちか。
母 確かに大変だったけど、大がいたからみんなが頑張れた。まとまることができた。大は性格的にすごくまじめで、何でも一生懸命にやる。それを何とか支えてあげたいと思わせる子。だから、家族みんなが「大が頑張っているんだから、私たちも頑張らないとね」となる。特に同居するおじいちゃんとおばあちゃんは水泳の送迎や食事の用意をずっとしてくれた。とても感謝している。
父 大は家庭の中で一番、生活態度がきちんとしている。大きな反抗期もなく、素直に育ってくれた。大を支えるという同じベクトルで生活できるのは、一般家庭にはないわが家の特性だったのかなと思う。
-東京パラ大会が延期となり、来年8月24日からの開催に決まった。励ましの言葉を。
父 1年後に向けて今できることを着実に。仕事をきちっと、家の手伝いもやって、当たり前のことをちゃんとやっていくというのが一番じゃないかなと思う。でも大はもうやっているから、何も言うことがないんだ。
大さんから家族へ
今は新型コロナウイルスの影響で生活パターンがすっかり変わってしまいました。これまで当たり前に過ごしてきた毎日が、本当はとても幸せだったんだなぁと感じています。
食事やお弁当を作ってくれてありがとう。洗濯や掃除をしてくれてありがとう。プールへの送り迎えをしてくれてありがとう。気持ちが落ち込んだとき、そばにいてくれてありがとう。家族みんなの支えがあるから、今日も僕は目標に向かって頑張れます。
とうかいりん・だい
1999年生まれ。山形三小-山形五中-上山高等養護学校。三菱商事所属で、地元の老人福祉施設「ベル宮町」に勤務。2019年のパラ競泳の世界選手権で、男子200メートル個人メドレー(知的障害)を2分8秒16の世界新で制し、東京パラリンピック代表に内定した。東京パラ大会は延期となったが、代表内定の維持が決まっている。