
歌手・工藤あやのさんの父・房和さん、母・依薫香さん
本県出身の著名人の親に子育てのつぼを聞く「やまがた親物語」。今回は歌手工藤あやのさん(25)=山形市出身=の父房和(ふさかず)さん(60)と母依薫香(いくこ)さん(64)を訪ねた。

-テレビ番組などであやのさんは天真らんまんに見える。どんな子どもだったのか。
父 小さい頃から今と一緒。雰囲気はそのまんまだよ。
母 子どもの頃はぽっちゃりで、元気にコロコロって転がりそうで、活発で目立ちたがり屋だった。しぐさも面白かった。
-小さい頃から歌が好きだったのか。
母 立てないうちから踊るように足を動かしたりしてね。幼稚園でピンクレディーの「SOS」を習ってきて振り付きで歌った時は、めんこくてみんなで褒めてねえ。好きなんだっけべね。
-依薫香さんは民謡歌手として活躍している。あやのさんが歌うきっかけは。
母 私は16歳で民謡を始めた。結婚や出産で休み、また始めようと民謡教室で稽古をした。小学1年生だったあやのを家に1人で置けないから連れて行った。お絵描きして待っていたんだけど、帰りの車の中で突然歌い出した。習わせると、あれよあれよと覚えていった。
-お母さんの影響が大きい?
母 音楽好きはDNAなんですよ。歌も好きだし、踊りもダンスも。親ばかなんですけど、いい歌声だなあって思って。私が最初のファン。小さい頃は私が歌う懐メロを覚えて、一緒にハモって歌ったこともあった。興味がありそうなことは何でもやらせた。すごいねと褒めて。やりたいことは止めないし、否定もしないで育てた。私がCDデビューした時、あやのは10歳。歌の仕事全てに連れて行き、あやのは乗り気で歌った。「じょんだー」と言われるのがうれしかったんだろうね。民謡教室には小中の9年間通った。

-デビューの経緯は。
母 中学に入ると衝突することが多くなった。高校1年生の時、演歌の新人歌手発掘オーディションに応募した。この頃から関係が良くなった。オーディションの決勝で高校生は1人。あやのは城之内早苗の「あじさい橋」を堂々と歌った。優勝し、歌手への道が開けた。2年生の終わりからは毎月上京してレッスンを受けたけど、デビューはいつか分からなくて。「あや、東京さ行げは」と、卒業式の翌日送り出した。東京に行かなきゃ動き出さないと思って。
-その年の夏に曲が完成し、翌2014年1月に19歳でデビューした。実家脇に作ったカラオケルームは、あやのさんも使うのか。
母 一緒に歌ったり、歌ってみせて私にアドバイスを求めたりする。追っ掛けのファンの人たちが来て、あやのの歌を歌ってくれることもあるよ。
-両親が経営する総菜店内にポスターを貼り、PRしている。
父 応援といっても、それくらいしかできないからね。ファンの人が、撮った写真を持ってきてくれるから、それも飾っている。いっぱい売れなくても、みんなに好かれれば、それで十分。自分らしくやってほしいね。
◆あやのさんから家族へ

普段は東京と山形で離れて暮らしているけど、無理していませんか? 家族の体調や環境はいつも心配しています。ちゃんと食べてる? いくら総菜屋だって、バランスよく食べないとだめだよ。タレの焼き鳥ばっかり食べてた私が言うのもなんだけどさ。(笑)
上京して7年。応援してくださる方も増えて、家族の近況をなぜかファンの方から聞いてビックリすることもあるけど、元気でいてくれてるんだなとホッともします。これからも元気でいてください。
くどう・あやの
1994年生まれ。8歳で県民謡選手権大会少年少女の部で優勝し、県民謡王座決定大会少年少女の部で12歳、15歳の2回優勝した。上山明新館高時代はハンドボール部で汗を流した。
作曲家弦哲也さんが歌声を絶賛。「山形のひだまり娘」をキャッチフレーズに「さくらんぼ 恋しんぼ」でデビューした。今年、第5弾となるシングル「恋微熱JIN JIN JIN」をリリース。東北出身の女性歌手3人による歌謡ユニット「みちのく娘!」のメンバーとしても活躍する。