わいわい子育て

やまがた“親”物語

山形交響楽団音楽監督飯森範親さんの父・三星さん(下)

2013年4月16日掲載

 本県ゆかりの著名人の親に子育てのツボを聞く「やまがた“親”物語」。先週に続き、山形交響楽団音楽監督の飯森範親さん(49)の父三星さん(76)=神奈川県葉山町=のインタビューを紹介する。世界に羽ばたく才能が育まれた背景には、個性豊かな両親の存在があった。

 -飯森家ならではの子育てを教えてほしい。

子どもたちの自主性を大切にする両親の下で伸び伸び育った。範親さん(前列右)8歳のころ
子どもたちの自主性を大切にする両親の下で伸び伸び育った。範親さん(前列右)8歳のころ

 三星 範親が小学5年、弟が小学3年の時に、家族4人で米国旅行をした。今でこそ子どもを連れて海外旅行に行く時代だが、40年前の当時は、夢のまた夢だった海外渡航が自由化されたばかり。子どもの旅行客はなおさら珍しかっただろう。航空機で機長さんが2人をコックピットに入れてくれるという貴重な経験もした。

 -どうしても、海外に連れて行きたかった。

 三星 20代、30代になってから外国の地を見るのと10歳前後で見るのとでは、きっと目線が全然違うと思った。私はサラリーマンだから子どもたちに遺産なんて残せない。きざな言い方だけど、「心に残るもの」を残してやるのが一番いいんじゃないか、との思いで海外旅行を決断した。西海岸やメキシコ、ハワイを2週間かけて巡った。

 -旅費も高額だったのでは?

 三星 1ドル300円台の時代に4人で2週間。ローンを組んで出掛けた。必死になって働いてローンを返した。範親が中学1年、弟が小学5年の時、再びローンを組んで、今度は4人でヨーロッパへ3週間。同じ年には妻と子どもたちの3人で東南アジアに行かせた。範親たちは「大丈夫だよパパ、ママのことは僕たち見てるから」とたくましかった。現地では、自分と同じぐらいの年齢の子どもたちが、はだしで物を売ったりしているのを目の当たりにした。欧米だけではなくさまざまな地域を見せたかった。それがわが家なりの教育、社会見学だったように思う。

 「母は、根っからのポジティブな人でした。僕は母に叱られた記憶がほとんどありません。何かを失敗しても、母に『それは次につながる失敗だから、今度頑張ればいいのよ』と言われて育ちました。だから僕は、超がつくほどプラス思考になれたと思います」(「マエストロ、それはムリですよ…」より範親さんのコメント)

 -お母さんはどんな人?

 三星 2001年に64歳で亡くなったが、範親は考え方など、いろんな面で母親の影響を受けていると思う。彼女は絵を描くことや音楽を聞くのが好き。料理や手芸が得意で、子どもの洋服は買ってきたら自分流にアレンジしていた。裁縫でも料理でも、子どもたちがやりたがれば、脇で見守りながらやらせていた。子ども部屋などなかった時代に、妻は押し入れの下の段に「お城」を作ってあげたこともあった。きれいなカーテンで空間を二つに区切り、折り畳み式の机や電気スタンドを置いてね。子どもはそういう空間が好きでしょう。2人とも、喜んで勉強したりしていた。そんなクリエーティブな母の姿を見てきたから、範親は「とにかく何でもやってみよう」と行動するのだろう。

 -ご両親の独創性が子どもたちの感性を磨いた。

 三星 私も妻も他の子との比較は一切しなかった。子育てに対する考え方が一致していたことは幸せなことだったと思う。親からすれば「えー、あんなことやっちゃって」と言いたくなる場面があるかもしれない。でも、ある程度距離を置いて見守る。いよいよその子が道を外れそうになった時に手助けするのがいいのではないだろうか。

 -範親さんは地元の公立小中学校に通い、高校は県立の進学校。そこから難関の桐朋学園大指揮科に進んだ。

範親さん1歳のころ
範親さん1歳のころ

 三星 経済的な理由で、できれば大学も、私立よりは国立の東京芸術大に行ってくれた方がいいとは範親に言っていた。ところが、音楽のレッスンを受けていた先生たちから「芸大よりも桐朋がいい。できることならかなえてあげて」と言われ、高校3年になったころに志望を変えた。桐朋と芸大では、試験のために準備する内容が全然違う。今までとは違う先生についたら「惜しいね。あともう1年早く来ていれば、何とかなったのに」と言われたらしい。範親はとにかく負けず嫌い。この言葉がすごく発奮材料になった。合格者がゼロのこともある指揮科に、付属以外の高校から現役で入ったのは彼しかいないらしい。

 「でも最初は、現役で入れたっていう期待が、今度は僕の肩にプレッシャーとしてのしかかっていたというのが正直なところでした。(中略)プレッシャーとストレスに押しつぶされて、とうとう体を壊してしまいました。その時に、父がなぜか僕をゲームセンターへ連れて行ってくれたんですよ。(中略)多分、父は『焦ってもしょうがないよ』と言いたかったのかなと思うんですが、口では何も言いませんでした。ただ黙って、ゲームをさせてくれたことを憶(おぼ)えています」(同)

 -範親さんは「父と母は、いくつになっても超えられない存在」と話している。

 三星 小さなころから「自分一人で生きているわけではないのだから、全てのことに感謝しなさい」とは教えていた。でも進む道については放任主義というか、自主性を重んじたというか。高校も大学も範親が自分で学校を決めて、私は「いいんじゃないの、君が行きたいなら」と言っていただけ。歌舞伎界のような世襲の世界は別だけど、一般の家庭に生まれた子どもなら、将来は何になってもいいし、そのチャンスがある。必ずしも好きな道に進めなかったとしても、親に押しつけられてではなく、自分で取捨選択した結果であってほしい。子どもにとっても、親にとっても、それが幸せなんじゃないかな。

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