わいわい子育て

やまがた“親”物語

劇作家、俳優後藤ひろひとさんの父・耿さん、母・紀子さん

2012年1月24日掲載

 本県で生まれ育ち、各界で活躍中の人物の親に子育てのツボを聞く「やまがた“親”物語」。今回は、大阪を拠点に活躍する劇作家・俳優後藤ひろひとさん(42)=山形市出身=の父耿(こう)さん(76)と母紀子さん(73)に話を聞いた。

 -どんな子ども時代を過ごした?

後藤ひろひとさんの父耿さん(左)と母紀子さん。「寛人は写真を撮る時、私たちにいつもこんなポーズをさせるの」=山形市の自宅
後藤ひろひとさんの父耿さん(左)と母紀子さん。「寛人は写真を撮る時、私たちにいつもこんなポーズをさせるの」=山形市の自宅

 紀子 わが家には、音楽なしの生活はないの。ステレオからいつも曲が流れていて、みんなで歌ったりピアノを弾いたり、踊ったりしていた。

 耿 姉、兄、寛人(ひろと・後藤ひろひとさんの本名)の3人きょうだい。おもちゃのドラムセットや楽器を買って、小さいころはそれを鳴らしていた。もちろん私も一緒に歌って踊る。子どもたちが大人になってからも、家族がそろえばハモって踊って。結婚式や、悲しむべき法事でも盛り上がっちゃうんだよ。

 -音楽に包まれて育った。

 紀子 耳が良ければ何にでも通用する、というのが私の持論。夫の方針は「本を読め」。漫画でもいいから、読みたくなったら買ってやる。それを自分のものにしろと言っていた。私もどの子にも毎晩読み聞かせをした。それぞれ自分の好きな本があって、寛人は「かたあしだちょうのエルフ」。悲しい結末の物語で読むたびに泣く。私も一緒に涙が出てきちゃって、読めなくなる。だからもうやめようと言うのだけれど、寛人はまた読んで、と毎晩その絵本を持ってきた。

 -お父さんと映画館にもよく行ったと聞く。

 耿 私が映画好きでよく見ていた。時々子どもを連れて出掛ける。夏休み中の子ども向け映画の時もあったけれど、特に寛人は、私が見たいと思う、変な映画にばかり連れて行って一緒に見ていたな。

 紀子 夫は1カ月のうち3分の2は出張で家にいない。母子家庭みたいなものだった。子どもたちには「パパに言うからね」と言うとおとなしくなる。お父さんは威厳のある存在にしておかないと。

 -歌って踊る楽しいパパだけど、怖くもあった。

 耿 私は手が早くて、すぐゴツンとやるからね。運転中の車の中で子どもたちが騒ぎ出すと、途中で降ろしてそのまま置いてきたり。子どもをちやほやはしなかった。

 紀子 この人ったら、いつも傍らに本を持っているから、それで子どもの頭をガチンとやる。そうすると私が「殴らないで、あたしの子だから、これ以上頭悪くなると悪いから」って止めるの。だって、お尻ならいいけど、頭をたたくなんて。私の母は、お尻しかたたかなかったもの。そういえば、よその人が見たらびっくりするかもしれないけど、わが家では昔から、ぎゅっと抱き締めるハグをしていた。今も寛人が帰ってくると「会いたかった」と玄関でハグ。私自身がそうやって育ったから。

 -後藤家ならではの文化がたくさんありそう。

 耿 私は子どもたちに「勉強しろ」とは言わなかった。私もそれほど勉強らしい勉強なんてしてこなかったし、人間なんてそれで何とかなるからね。男の子は土からも学ぶ。だから外で遊べとも言っていた。

 紀子 大人になって寛人が言うのは「ママからはトークを教わった」。3人きょうだいで、夫は仕事であまり家にいない。話したいことは、われ先にしゃべらないと私に聞いてもらえなかった。私も、子ども3人に同じように愛情を注ぎたい。そこで考えたのが台所で洗い物をする私の隣で、食器拭きの手伝いをする子が語りたいことを語る、というやり方。テストで100点取った、なんていういい話はしなくていい。悪い点数を取った時と悩みがあった時は、みんなで相談に乗ってあげる、と言っていた。

 言葉を話せるのは人間だけ。言葉を大事にしなさい、ともよく言っていた。学校から家に帰ってきた時の「ただいま」の声のトーンと、どんなレコードを聞くかでその子の様子が分かった。何かあったかな、と思っていると、家族で話し合いをする場で自分から話を切り出してくるものだった。

 -家族仲良く、すくすく育った。困ったことはない?

 紀子 寛人はいたずらでも何でも、やることが大きくて。千歳公園の丸木橋を自転車で渡って落っこちたり、傘をパラシュートのように持って屋根の上から飛んだり。小学校の長い階段の一番上から下まで飛び降りて脱臼して「階段を制覇した」なんて言ってたけど、そんなことして何になるんだか。かと思えば、幼稚園で縄跳びを跳べなかった時には「縄跳びなんて必要ない」と言う。小学校の担任の先生から「プールに入らない」と言われたことも。その時は「カッパじゃあるまいし、人間は泳ぐ必要なんてない」。国語の授業では、物語の矛盾をいちいち指摘する。自宅に先生から「授業が進みません。素直な感じ取り方をしてくれるようご協力ください」と電話がきたこともあった。私も答えようがない。

 耿 小学5、6年のころ、映画の台本を書いていた。カット割りやせりふ、音楽まで細かく考えて、友達を登場人物にして。元からそういう素質はあったんだね。大阪外語大のインド・パキスタン語学科に進学したから、お、これは面白い道に進んでいるな、将来は外交官かなと思っていたのに、全然違った。最初からコメディアンになるつもりで大阪に行ってたんだもん。そんなこと私たちは全然知らなかった。でも、そうと分かってからも反対はしなかった。私の親(郷土史家の後藤嘉一さん)も演劇をやっていたし、私も山形東高演劇部。血筋かな。でもまさか、小学生のころ映画をつくったり台本を書いたりしていたことをそのまま伸ばして、生活できるようにまでなるとは思わなかった。普通なかなかできないこと。面白い男だよ。

【記者ひとこと】

 後藤ひろひとさん作の舞台を見るたびに驚くことがある。愉快ないたずらをたくさん考え付き、打算ではなく優しい気持ちになる「子ども心」を持ったままの大人がいるんだ!ということに。両親に話を聞きながら、そんな子ども心のオアシスを見た気がした。にぎやかにおしゃべりする紀子さんと、寡黙ながら楽しそうに笑って応える耿さん。「歌ったり踊ったりするのはね、いつも、だよ、いつも」と今にも踊りだしそうな2人。写真撮影では思い切り体をねじってVサイン。照れた様子はみじんもない。こんな大人、かっこいいと思った。

メモごとう・ひろひと

1969年山形市生まれ。山形東高卒、大阪外語大中退。劇団「遊気舎」座長を務めた後、吉本興業と契約。マルチユニット「Piper」のメンバーとして活動する他、多くの舞台で脚本・演出を手掛ける。主な作品に「ダブリンの鐘つきカビ人間」「ニッポン無責任新世代」、本多猪四郎監督(鶴岡市出身)の特撮映画を舞台化した「ガス人間第1号」など。映画「パコと魔法の絵本」の原作者でもある。本紙文化欄の「アート・フロンティア」執筆者。

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