わいわい子育て

やまがた“親”物語

ロックバンド「銀杏BOYZ」ボーカル峯田和伸さんの父・季志さん

2011年5月16日掲載

 山形で生まれ育ち、各界で活躍中の人物の親に子育てのツボを聞く「やまがた“親”物語」。今回は、ロックバンド「銀杏(ぎんなん)BOYZ」ボーカルの峯田和伸さん(33)=山辺町出身=の父・季志(ひでじ)さん(59)に話を聞いた。

 -お父さんは山辺町にある「峯田電器」の社長。“まちの電器屋さん”の息子がロックミュージシャンになった。

「うそだけはつくな、と教えていた」と振り返る和伸さんの父・峯田季志さん=山辺町
「うそだけはつくな、と教えていた」と振り返る和伸さんの父・峯田季志さん=山辺町

 私の父が始めた店で、私が2代目。両親にとって和伸は初孫で「3代目が生まれた」と大喜びした。小さなころから近所でも学校でも「3代目」と呼ばれて育った。

 -電器店を継ぐ道が決まっていた。

 商売は信用第一。店は「至誠一徹」をモットーにしている。「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、3代目として、まずは誠実で、人への思いやりがある子に育ってほしいと思っていた。2歳下の弟、6歳離れた妹がいて、2人は塾に通わせたけれど、和伸には、商いをするのにあんまりガリ勉じゃ困る。だから勉強もしなくていいと言っていた。

 -どんな子育てをしたのか。

 悪いことをして怒られることがあってもいい、できた人間じゃないんだから。たった一つ、うそだけはつくなと教えた。「今日、幼稚園で女の子を泣かせちゃった」とか、何でも正直に話してくれた。「そうか、それじゃ謝りにいかなくちゃね」と、その子の家に行ったりしたものだ。私も家内には何でも話す。例えば飲み会があった日にはどの店に飲みに行ったか、誰と一緒だったか全部伝える。「お世話になったから今度会ったらお礼を言ってね」と。

 -夫婦で店を経営しながらの子育ては大変だったのでは。

 一緒に暮らしていた私の両親が子供たちの面倒を見てくれた。「ならぬものはならぬ」としつけてくれたし、祖父母や両親を大切にする基本の部分もしっかり教えてくれた。

 -店を継ぐとばかり思っていたのに、音楽の道に入った。

 忘れもしない成人式の時のこと。当時大学2年で千葉にいたが、アルバイトが忙しくて町の成人式に帰ってこないという。「3代目として顔も名前も売っとかなくちゃいけないんだから来るように」と怒ったら、翌日帰ってきた。そうして正座をして「初めてうそをつきました」と打ち明けた。実はアルバイトではなくレコーディングがあったこと。バンドをやっていて、音楽の道に進みたいこと。そして電器屋は弟に譲ってもいいか、と。

 -当時、和伸さんのバンド(GOING STEADY=ゴーイングステディー)は既に人気が出ていたが…。

 「とんでもない」と怒ったね。「どうしたら認めてくれるか」と聞くから「テレビや新聞に出るようになったら」。ところが「おれがやっているバンドはテレビや新聞には取り上げられないジャンルなんだ。代わりに収入で見てほしい」と言う。「大卒の5倍の年収をとるようになったら認める」と条件を出したら、必死になって頑張ったんだろう。大学を卒業する時にはそれを超す収入があった。今振り返れば、子供のころから家族からも周りからも「3代目」と期待されて、好きな道があっても言えなかったんだろうな。

 -音楽好きは誰の影響?

 私は子供に「音楽なんかばっかり聞いて」とは言えないところがあるんだよね。実は高校時代に、バンドを組んでいたから。ちょうどビートルズやベンチャーズがブーム。家族でドライブに出掛ける時もいつも音楽をかけていた。

 -お父さんの血だ!

 いや、それが私の父もギターを弾いて古賀政男メロディーを歌っていた。昔のホームビデオを見ると、まだよちよち歩きの和伸が、晩酌しながら歌うじいちゃんの膝の上で、手拍子している。懐メロとか演歌とか、人情味あふれる歌に触れていたんだね。山形市にある、母方の祖父母の家に行くと、よく歌を披露していたようだ。まずは電器屋だから「明るいナショナール」って、ナショナルのテーマソングで始める。それから当時ヒットしていた「北国の春」なんかを歌うんだ。人前で堂々としていて、度胸があるなと思ったよ。

 -じいちゃん、ばあちゃんっ子だった。

 和伸が中学1年の時、自宅にいたばあちゃんの具合が悪くて呼吸が浅くなっていた。和伸が母親に「爪が紫色になっているよ、病院に連れていった方がいいよ」。それで病院に連れていくと緊急入院。ほかの大人たちは気付かなかったのに、和伸には観察力があった。2人とももう亡くなったが、法事には必ず帰ってくる。和伸は今飼っている2匹のヤモリに「定助」「和枝」と祖父母の名前を付けて「今日の和枝は食欲があっていい」とか「定助は夏ばてかな」なんてブログに書いていたり。東京のマンションには祖父母の写真を飾っている。

 -家族思いなんですね。

 ライブでは、道徳心のかけらもないような態度で歌っているけど(笑)、本当は優しいんだよ。高校時代は母の手作りの弁当を持って学校に通った。弟は友達の弁当を見て「おれのももっと彩りよくしてほしい」なんて注文していたみたいだけど、和伸は全く言わない。毎日「母ちゃん、おいしかった。毎日同じおかずでもいい」って。それから兄弟3人は今も仲がいい。私の両親が大事にしていた優しさや思いやりを子供たちも引き継いでくれるのが何よりうれしい。

 -和伸さんの作る歌はありのままの感情を表現してファンから熱烈な支持を得ている。峯田家で育まれた「誠実さ」のたまものでは。

 ライブでは山形弁丸出し。山形に映画の舞台あいさつに来ても、ジャージー姿。もう少し格好付けたらいいのに、と思う。雑誌のインタビューでもテレビに出ても、自然体で本当にありのままにしゃべっている。正直すぎて、もう少し飾ってほしいぐらいなんだけどね。

【記者ひとこと】

 「自分の中から自然に出てきたもの…」と和伸さんがつづる歌詞は、あまりにも飾らなすぎて度肝を抜かれてしまう。どうしてこんなに正直に生きられるの? その理由を、物腰柔らかで気さくな父・季志さんの姿に垣間見た気がした。

 創業者から引き継ぐ教えは「買う人と売る人の心が一つになった時に初めて販売が成立する。商売上手か下手かより、誠実さが一番大事」という。和伸さんに「うそだけはつくな」と言うだけでなく、季志さんの裏表のない生き方そのものが何よりの鏡になったのだろう。細やかなアフターサービスが好評のまちの電器屋さんと、飾らない言葉で熱烈なファンの多いロック歌手。表現方法は違っても、その根底に流れる性格は共通しているのかもしれない。

メモみねた・かずのぶ

 1977年山辺町生まれ。山形商高、東京情報大卒。大学在学中に組んだバンド「GOING STEADY(ゴーイングステディー)」はデビューシングルが発売1カ月で1万枚を売り上げるなど話題に。人気絶頂の2003年に解散後「銀杏BOYZ」を結成。アルバムに「君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命」「DOOR」など。感情を生々しく描き出す曲、激しいライブが若者を中心に人気。映画「アイデン&ティティ」(田口トモロヲ監督)や「ボーイズ・オン・ザ・ラン」(三浦大輔監督)に主演し、映画界でも独特の存在感を発揮する。著書に「恋と退屈」ほか。

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