わいわい子育て

やまがた“親”物語

加藤条治選手の父・昌男さん

2010年5月3日掲載

 アスリートや作家、シェフに音楽家、ビジネスマン。山形で生まれ育ち、各界の第一線で光っている人たちがいる。彼らはどんな子供時代を過ごしてきたのだろうか。「山形わいわい子育て」欄では、普段は紹介される機会の少ない親たちに子育てのツボを聞く。題して「やまがた“親”物語」。第1回は、バンクーバー冬季五輪スピードスケート男子500メートルで銅メダルに輝いた加藤条治選手(25)=山形市出身=の父・昌男さん(61)。どうやったらこう育つ?

 -お父さんのDNAを受け継いだ?

「けなさず、ほめることが大事」と話す加藤条治選手の父・昌男さん。自宅脇の林の中で、子供たちは枝にぶら下がって遊んでいた=山形市岩波
「けなさず、ほめることが大事」と話す加藤条治選手の父・昌男さん。自宅脇の林の中で、子供たちは枝にぶら下がって遊んでいた=山形市岩波

 昌男 どうかな。わたしの生まれは南陽市小岩沢。中学卒業後東京で働いた後、何か新しい仕事をやりたいと夢を抱いて海外に。ソビエト、北欧、アフリカ、東南アジアとヒッチハイクの旅をした。山形に戻って呉服店経営を始め、今は健康機器販売を手掛けている。

 -特別な子育てをしたのでは。

 特別なことをしてきたわけじゃない。昔はみんな伸び伸び遊ばせていたし、わが家では、たまたま夢中になったものがスポーツだったというだけ。

 -そんなに伸び伸び育った?

 ゲームは家に置かなかった。兄弟4人にとって遊ぶといえば体を動かすこと。以前住んでいた家の中では、階段の1番上からジャンプして、2階から一気に1階まで飛び降りて遊んでいた。

 -危ない~。

 はっはっはー。普通じゃ考えられないよね。「やっちゃ駄目」とは、よほどのことでない限り言わないようにしていた。母の順子も、階段の一番下に布団を敷き詰めておくだけ。

 -みなやんちゃ坊主?

 長男と次男の間が二つ離れているだけで、あとは年子の男4人。小さなころから、長男が考えてやることを下の3人が「僕も、僕も」とまねしていた。

 -スポーツを始めたのはいつから。

 最初にやったのはスキー。条治はまだ小学校に入る前だった。自分が得意だったこともあって蔵王などのスキー場に4人を連れていった。ターンを教えるのだが、息子たちは「そんなんじゃつまらない」と、急斜面の「横倉の壁」を直滑降していた。ほかに、兄弟そろって剣道や空手もやった。スケートは、家のそばにリンクがあって、よく遊びに行っていた。本格的に始めたは条治が小学1年のとき。

 -山形市岩波にある自宅に引っ越したのもそのころ。くねくねと急な坂道を上って、やっとたどり着く感じ。はるか遠くに市街地を見下ろすほど。

 周りは林。子供たちは木に登って、枝にぶら下がったり、山の中をマウンテンバイクで走り回ったりして遊んだ。けがはしょっちゅう。長男以外はみんな救急車で運ばれた。

 -野性児みたい。

 この場所は救急車も分かりにくい。条治がけがをしたときは、ほかの子が坂の下まで下りていって、竹ぼうきを振って救急車に合図していた。連係プレーだね。

-兄弟仲いいんですね。

 加藤家の大原則は、年功序列。スケートに関しても、高校時代、長男が道を付け、2番目の兄が条治を鍛えた。兄のアドバイスは素直に聞いていた。今でも家族でバーベキューをするとき条治は皿洗い係。あれこれ指示されても、けんかせずにやっている。仲の良さは親が見習いたいぐらいだ。

 -それにしても学校まで遠いところよく通った。

 滝山小まで歩いて片道30分。朝はわれ先に4人で駆けていく。帰りは上り。小学から高校まで毎日歩き続けた。

 -勉強は二の次だった?

 それが結構、成績は良かったと思う。「授業中に、先生の話を本気になって聞けばいい。家に帰ってきてまで勉強なんかしなくていい」と言っていた。「やるな」と言うと、陰で隠れて勉強するんだよ。そして、とにかくほめる。長男に「おまえ天才だなあー」。すると「僕も天才」と弟たち。成績が悪かったときには「おまえは秀才かな」。そんな言い方だった。そういえば、条治が「スケートを辞めたい」と弱音を吐いたことがある。そのときも「やめたければ、やめればいい」と言っただけ。するとまた頑張るんだ。

 -ほめ方がポイント。そして、自分で考えさせる。

 加藤家では小遣いはゼロ。子供のころ、欲しいおもちゃは正月やクリスマスまで我慢した。クリスマスの朝、4人が寝ている部屋から「サンタクロースのおじさんありがとう」って聞こえてくるのがうれしかった。純粋でしょう。

 条治が小学6年の時、何だったか欲しいものがあって、お年玉をためた貯金箱を持って店に行ったことがあった。レジの前で貯金箱を割ったんだけど、1000円足りない。しょんぼりしている姿を見て、店の人が1000円まけてくれたこともあった。高校生でワールドカップに出場した時は小遣いとして5万円を渡した。これが初めて手にした大金。結局何も買わずに帰ってきたっけなあ。

 -笑顔がいいですよね。

 にこにこ愛嬌(あいきょう)があって、子供のころはどこに行っても人気者。兄の同級生の女の子たちに、いつも頭をなでられていた。小学校に入ったばかりの運動会で条治コールが起きたのには驚いた。

 -よくメダリストに育てました。

 条治はものすごく体の小さい子供だった。小学4年の時でも、ほかの小学1年の子供より小さい。登下校する姿は、まるでランドセルだけが動いているようだった。あれだけ小さな条治が、せっせと12年間、坂道を歩いて鍛えられた。条治でもできたんだから、みんなに才能はあるんじゃないかと思う。天才肌と言われるけれど、頑張っているところを人に見せていないだけ。本当は努力家なんだよ。

【記者ひとこと】

 目尻を下げた笑顔、たっぷりのユーモアと素朴さ。初対面の記者も、あっという間に緊張が解けてしまうような人柄に触れて、取材の帰路、幸せな気分がずっと続いていた。昌男さんは「何も特別なことはしなかった」と言うけれど、この「受け止めてもらっている」という感覚が、兄弟4人がそれぞれ才能を開花させた大きな要因ではなかっただろうかと感じた。「今の世の中は便利になりすぎた」とも話していた昌男さん。心は豊かに、暮らしは少し不便に、ぐらいが理想的なのかもしれない。

メモかとう・じょうじ
加藤条治

 1985年山形市生まれ。滝山小、山形六中、山形中央高を経て日本電産サンキョー入り。6歳からスケートを始め、高校時代にインターハイ500メートル3連覇を果たす。2005年W杯(ソルトレークシティー大会)で、34秒30の世界新記録(当時)を出し初優勝。W杯通算7勝。トリノ五輪6位、バンクーバー五輪銅メダル。

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