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横浜の保育施設代表・柴田愛子さんが山形で講演 やりたいこと、尊重しよう

2017年8月1日掲載

 「自分の子育てってどうなの?」「どうしてこうなっちゃうの?」-。子育てにイライラしたり悩む人は少なくない。そんな親や保育者に向け、「子どもの心に寄り添う保育」がモットーの保育施設「りんごの木 子どもクラブ」(横浜市)代表で、NHK・Eテレ「すくすく子育て」に出演中の柴田愛子さんが7月30日、山形市内で講演した。子育てに関わる人たちの気持ちが軽くなるような、子育て・保育論を繰り広げた。以下は講演要旨。

子どもの心に寄り添うことの大切さを強調した柴田愛子さん=山形市・特別養護老人ホーム「なごみの里」地域交流ホール
子どもの心に寄り添うことの大切さを強調した柴田愛子さん=山形市・特別養護老人ホーム「なごみの里」地域交流ホール

 長いこと保育をしてきた。きっかけは、高校生の時、姉に赤ちゃんが産まれたこと。誰も教えてないのに寝返りやはいはいをして人間として育っていく姿に感動した。子どもたちがこの世に生まれてきた以上、生まれてきて良かったという人生をたどってほしいという願いが私の中に種のように落ち、この仕事をしようと思った。

 そして幼稚園で働き始めた。働きながら、大学や10の研究会で勉強し、通算10年、正しい保育とは、幼児教育とは、子育てとはを求めた。人は専門家に弱い。専門家は自分の研究途上のことを公表しているに過ぎないのに。もちろん専門家の言うことを試したっていい。でも、できない時に自分や子どもを非難するのでなく、自分たちには合わなかったと思えばいい。そして、結論、正しいものなんてないのでは、となった。こうすればこう育つという1+1=2みたいな方程式は人間には当てはまらないと思った。1982年、34歳の時に「りんごの木」をつくった。とにかく子どもをよく見てみよう、子どもが感じているだろうことを、私がひと言言ってみよう。そしてよほど危険だったり、迷惑なこと以外やらせてみようと思った。

■同じ到達点

 2歳児の担任をした時のこと。子どもたちは早弁をした。お母さんが作ってくれた弁当を見ると安心するんだろうと思い、ほっといた。4、5月はバラバラに食べていた。秋になって人間関係ができると一緒に食べ始めた。でも、一品持ち寄りみたいにみんなでみんなの弁当を食べる。ところが3学期になると「私のを食べないで」となる。そうしたら、みんな一緒にお昼に自分の弁当を食べるようになった。ほっといてもそうなる。ほっとかないでがんばってしつけてもそうなる。到達点が同じならどっちでもいいと思わない?

 2歳児の親は、遊び食べに悩む。胃が小さいから少し食べるとおなかいっぱいになってどこかに行く。また、おなかがすいて帰ってくる。これは習性。いたって自然なこと。4歳になればしなくなる。いずれ帳尻が合うことなら無理してやらせなくてもいいと思う。この時期は、うちに猫が一匹いると思えばいい。動物的な感性と本能で生きている時に、人間文化を仕込もうとしているから大変になるんだから。

■自ら育つ力

 平均値の話。今は情報が豊か過ぎて、何歳になったら何ができるという子どもの発達の物差しが完璧に頭に入っている親が多い。そうすると、目の前の子どもを見た時に「はやい」「普通」「遅い」という評価が出てくる。例えば歩き始めるのは大体1歳だが、1歳半になってもまだ歩かない。そうなると、平均値からその子が歩くまでずっと心配と不安を抱える。言葉もそう。ちょっと先を見ればみんな同じになるのに、今にはまってヒヤヒヤしてしまうのが親。子どもはできなかったことができるようになる繰り返しで大きくなる。その時に「すごい!歩いたね」と喜んで見守られていくのと、「やっと歩いたわよ」「どこか障害があるんじゃない」と言われて育つのでは子どもの気持ちが大きく違う。

 子どもは自ら育つ力を持っていて、その時期にその子がはまっているものは、発達途上に起こる当たり前のこと。例えば、滑り台。2歳くらいになると下から登るが、これは足の裏の筋肉や腕力がつくから登りたくなる。5歳になるとちょっと危ないけど、がんばればできることにチャレンジする勇気と冒険心が出てくる。だから、滑り台の上の柵を越えて棒につかまって下りてくる。ルール違反かもしれないけど、子どもは正直に自分の発達を保証するために遊ぶ。迷惑にならないように危なくないように、やらせてあげたい。

 「りんごの木」の子どもたちはクレヨンをおろし金でおろし、クレヨンが粉になったのを見て「きれい」と喜んだ。私は「クレヨンがなくなる」といら立ったが、きれいな粉になることを発見しないより発見した方がいいと考え、やらせた。大人は本来の目的に沿わない使い方は許せない。でも、それでは子どもの発想が止まってしまう。子どもをよく見て、その子のやりたいことを保証したら、子どもは自ら育つ力を持っていると確信した。

■本来の自分

 子どもは自分の内面を的確に言葉で表現することができない。だから、心に寄り添ってあげることが大切。第一歩は、子どもが思っているだろうことを言葉に出して言ってみること。例えば、子どもが泣くと大人は「どうしたの?」と聞く。どうしたのか言える子は泣かない。悲しい、怒っている、甘えている、体調が悪いくらいは大人にも分かる。怒っているなら「怒ってるんだね」のひと言だけ。解決しようとしなくていい。そうすると子どもは、分かってくれたと思い、感情が落ち着く。そうすると「だってね」と話してくれる。転んだ時は「こんなところで走ったら危ないと言ったでしょ!」と言いがちだが、「痛かったね」と言ってあげて。何かあった時に寄り添ってくれる人がいることで、子どもは本来の自分を取り戻せる。

 親や保育者は子どもの先のことが心配で、転ばぬ先のつえを用意しようとする。でも、子どもは転ぶ。でも、自分で立ち上がる力を持っている。転んだ時は「ちょっと手を貸そうか」で十分。あとは、子どもが泣いて帰って来られるおうち、助けてと言えるおうちをつくること。第二のおうちである保育園も、正しい教育やサービスよりも、子どもが健やかに育つために子どもを見守る場所でありたいと思っている。

 たかが、2歳や3歳、4歳や5歳の子ども。でも、今をありったけ生きている。尊重していかなければいけない、たいした者たちだ。

けんかは見守って―母親たちにアドバイス

 講演会後、柴田さんは母親や保育者からの相談に答えた。一部を紹介する。

 -イライラしてると、子どもが「ママごめんね、大好きだよ」と言う。そんなことを言わせる自分が嫌。

 「子どもにとって母親は命綱。いつもの母親に戻ってもらうために、ごめんねとなる。そんな時は『ママはほかのことでイライラしてるけど、あなたのことは大好きよ』。イライラするのは仕方ない。はけ口を持って。ちなみに、親がいない園では先生が命綱。私は保育者になる時『これから出会う全ての子どもを好きになってみせる』と覚悟した。それがないと、その子にとってもう一つのわが家になり得ない。他人だからこそ、こういう迫力やアピールは必要だと思う」

 -年少児クラス担当の保育士。個々の環境や特徴が違いすぎて集団としてまとめられず、運動会が心配。

 「集団はいろいろな子がいるから育ち合う。集団の質を良くして評価を得るのは、統率する人の自己満足。心配なら並ばなくていい運動会にすればいい。みんなでワーっとしてても『うちのクラスすてき』と思う人だっている。当たり前になっていることを、これって本当に必要?とチェックすることが大切。昔からやっているからというのは理由にならない。散歩の時のロープや、雨の日は外で遊ばない決まりもそう」

 -新しいことをやってみようと言っても、「できない」「やだ」と言う。

 「親が『やろう』と背中を押せば、何でもチャレンジする子になるかといったらそうはならないし、その子の力にならない。自分で『やってみたい』という気持ちが起きてこそ、それを達成した時に、誰に評価されなくても達成感や満足感を味わい、自信がつく」

 -8歳と4歳の兄弟。けんかが絶えない。

 「子どもがけんかをすると、事情聴取し、判決を下す親が多い。これはきょうだいの仲を悪くする。だから見守っていればいい。見守っている場合じゃない時は『けんかは嫌い』『お母さん、外に出るよ』。これなら両成敗」

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