浪江から移転、誓う復興の“力水” 酒造り続ける鈴木さん
2016年03月05日
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福島県浪江町請戸地区の散乱した墓地で先祖の墓跡に酒を注ぐ鈴木酒造店長井蔵の専務鈴木大介さん=4日午後3時41分
「日本で一番海に近い酒蔵」が代名詞だった鈴木酒造店。江戸時代創業の老舗で「磐城壽」は大漁の祝い酒として飲み継がれ、町民に愛されてきた。だが大津波と東京電力福島第1原発事故による放射能汚染が日常を奪った。一家11人は避難所を転々として米沢市に流れ着き、その後、長井市内の酒蔵を受け継ぎ、2011年11月から営業再開。見知らぬ土地で試行錯誤して醸造し続け、今ようやく軌道に乗ってきた。 震災から5年、放射能汚染が復興を阻み、請戸地区は荒廃したまま。廃虚が点在し、春の日差しは穏やかだというのに重苦しく悲痛な思いがこみ上げる。原発の排気筒はわずか7キロ先に見える。震災直後、消防団員として捜索活動に尽力した鈴木さんだが「避難指示で撤退し救えなかった命があることは一生の後悔。無理してでも行けばよかった」と目を閉じる。かつての地区の様子を回想しつつ、亡くした友人を思いつつ神社や墓地、慰霊碑を回り、時には酒を地面に注ぎ、静かに手を合わせた。原発事故で一度は断念しかけた酒造り。だが再起を決意し4年半奮闘してきた。「避難先で浪江の人に酒を造り続けてほしいと崩れるような顔で懇願された。その言葉には浪江のものを何とか残したいという思いが込められていた。先は見えないがやらなければならなかった」と鈴木さん。震災後、酒への思いが深まった。「酒には人と人の縁を起こし、温め、つなげる力がある。そして一体感を持って前進させる力がある。復興の力水となるよう頑張り、いつの日か浪江での酒造りを再開したい」と前を向いた。 (報道部・堀川貴志) 【浪江町の震災被害】震度6強の揺れと15メートル超の大津波に襲われ、太平洋沿岸の港町・請戸地区を中心に約6平方キロが浸水、約600戸が流失した。町総務課によると町内の津波による死者・行方不明者は181人で、このうち154人が請戸地区住民。東京電力福島第1原発事故による放射能汚染で、現在の町内は比較的放射線量が低い「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」、線量が高く除染のめどが立たない「帰還困難区域」に分割されている。請戸地区は避難指示解除準備区域で町の許可を得て日中の立ち入りが可能。震災5年の今なお、町民約2万人が避難生活を強いられている。 ![]()
大震災から5年だが、放射能汚染の影響で復興が進まず、廃虚が点在する請戸地区=4日午後0時54分、小型無人機「ドローン」で撮影
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