刻む3・11~震災4年「あの時」の県内(3) 酒田共同火力発電―発電機自動停止、復旧へ苦闘
2015年03月07日
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工業用水の送水管にひびが見つかり、敷地内に仮設したプールで発電用の水を確保した=2011年3月14日、酒田市・酒田共同火力発電
1号機、2号機を合わせ、県内の電力需要の約半分に相当する70万キロワットの発電能力を持つ。主な燃料は石炭。震災発生当時、2号機は点検のため運転を停止中。1号機だけが稼働していた。 事務室が激しく揺れた。当時の人事労務グループ課長(現総務グループ課長)石川均さん(57)はとっさに身をかがめ、発電状況の表示板がある壁面に目を向けた。針は発電量ゼロを指していた。3月11日午後2時48分、1号機が自動停止した。 ■非常体制敷く 「大変なことが起きた」。石川さんは直感した。送電線に電圧がなくなった状態となり、社内も停電。最大警戒の「第2非常体制」が敷かれた。社員や家族の安否確認とともに、震災発生から30分後には設備の点検と被害状況の確認作業に動きだしていた。非番の社員は次々と出社した。 一刻も早く運転再開をお願いしたい―。東北電力から電力供給の連絡が寄せられた。国民生活に直結する電力の安定供給は、発電事業者の使命。社員たちは夜を徹して作業に当たった。備蓄していたカレーライスや乾パンを口に詰め込むとすぐに現場へ。プラントの無事が確認された1号機は翌12日午前11時23分、発電を再開した。 点検中だった2号機の立ち上げ作業も同時に進められた。だが、同社に工業用水を供給する県企業局の送水管に幅1ミリ、長さ80センチ程度のひびが見つかり、断水。「あらゆる手段を講じて水を確保しなければならないと思った」と石川さん。設備冷却や発電用のタービンを回すための補給水がなければ、運転を継続できない。 ![]()
震災後、フル稼働の状態が続く酒田共同火力発電=酒田市
国土交通省や県、酒田市、東北電力、民間企業に協力を求めた。各機関、企業は給水車や散水車計約30台を出した。24時間態勢で敷地内に仮設したプールに水をピストン輸送してくれた。そのプールから水をくみ上げ、14日午後7時47分、2号機が稼働。石川さんは「もし震災が深夜に起きていたら、発電までの作業がより困難だったかもしれない。運転を再開でき、安堵(あんど)もあった」と振り返る。 震災後、国内の原発は全て停止した。火力発電や再生可能エネルギーなどが国民の電力需要を支えている。早朝に発電量が上がり、日中にピークに達し、深夜に下がる台形状だった酒田共同火力発電の発電量はあの日から、終日フル稼働に変わった。 13年度発行の同社40年史に、震災の特集が組まれている。自動停止から発電再開までの苦闘が記され、こう結ばれている。「当社の使命は発電事業における電力の安定供給であり、そのために万全を期すことです。全社一丸となり、被災地の復興に向け、与えられた使命を果たしていきます」
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