東日本大震災から4年、忘れずに寄り添う
2015年03月12日
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多くの尊い命が失われた東日本大震災から11日で4年。歳月が流れても、最愛の人を亡くした痛みは決して癒えるものではないだろう。荒れ果てた生活区域の復興事業は各地で進んでいるが、道半ばであり、これからが正念場と言える。記憶の風化が懸念される中、深い悲しみに耐え一歩一歩前進する被災者に今まで以上に寄り添いたい。鎮魂と再生を祈る被災地を見つめた。(報道部・斉藤淳一、堀川貴志) ![]()
高台に宅地造成するため土地のかさ上げが進む岩手県陸前高田市。空中の巨大なベルトコンベヤーを通して山の土砂を造成地に運搬している=10日午前10時57分(堀川貴志)
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「がんばろう!石巻」への思いを込め、灯ろうやキャンドルがともされた市民有志らによる「東日本大震災追悼3・11のつどい」=11日午後5時51分、宮城県石巻市門脇地区(斉藤淳一)
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甚大な津波被害に遭った荒浜に建立された慰霊塔と観音像。被災者ら多くの人が駆け付け犠牲者の冥福を祈った=11日午後1時4分、仙台市若林区(堀川貴志)
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津波被害が大きかった宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区では多くの人が花を供えた。熊谷天弓(あゆみ)さん(29)=同県岩沼市=は三男の瑞輝(みずき)ちゃん(3)を連れて亡くなった祖父母の追悼に訪れた=11日午後0時16分(堀川貴志)
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多くの人が防災対策庁舎を訪れ、犠牲者を悼み手を合わせている。大津波の脅威を伝える庁舎を「震災遺構」として保存するか解体するか検討が続いている=10日午後5時20分、宮城県南三陸町(堀川貴志)
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山形県内の石材業者11社で組織する墓地景観創造研究会が設置したモニュメント「浄音塔(じょうおんとう)」。親類を震災で亡くしたという母娘が手を合わせていた。奥のシートが掛けられた建物は旧門脇小校舎=10日午前10時20分、石巻市門脇地区(斉藤淳一)
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石巻市門脇地区の「3・11のつどい」では参加者が大空に風船を放った=11日午後2時54分(斉藤淳一)
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東日本大震災から4年の11日、閖上(ゆりあげ)地区には多くの家族連れが訪れ、花を供えて亡くなった人を追悼した。津波で消防団員の弟を亡くした女性(65)=手前左=は家族と一緒に実家の場所を訪ね「世話好きでいい弟だった。人生まだまだこれからだったのに」と話し手を合わせた=午前11時16分、宮城県名取市(堀川貴志)
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閖上(ゆりあげ)地区の小高い丘「日和山(ひよりやま)」で手を合わせる仙台市在住の女性(44)は親戚や友人らが多数亡くなったという。「犠牲者の魂が静かに休めるように祈った。大震災から4年たったが生活が苦しい人が大勢いる。復興のために自分ができることを考えて取り組んでいきたい」と前を向いた=11日午前9時5分、宮城県名取市(堀川貴志)
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甚大な津波被害に遭った閖上(ゆりあげ)地区の小高い丘「日和山(ひよりやま)」の慰霊碑の周囲には震災発生時と同じように雪が降った。曇り空を赤く染めながら朝日が昇った=11日午前6時6分、宮城県名取市(堀川貴志)
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名勝・高田松原の約7万本の松の中で大津波に耐えて唯一残った「奇跡の一本松」。一度枯れたが復元され「復興の象徴」として立ち続けている=9日午後0時16分(堀川貴志)
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防災対策庁舎前の慰霊碑に手を合わせる女性=10日午後2時21分、宮城県南三陸町(堀川貴志)
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津波で生徒14人が亡くなった閖上(ゆりあげ)中学校の屋外時計は「2時46分」で止まったままだ=11日午後1時58分、宮城県名取市(堀川貴志)
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閖上(ゆりあげ)中学校で追悼の集いが行われ、生徒の名前を刻んだ慰霊碑に同級生が手を差し伸べた=11日午後3時30分、宮城県名取市(堀川貴志)
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閖上(ゆりあげ)中学校で行われた追悼の集いで、津波で夫を亡くした女性(64)がメッセージを書いて飛ばす風船をじっと抱きしめていた。「夫がいつもそばにいると思って生きていきたい」と前を向いた=11日午後2時57分、宮城県名取市(堀川貴志)
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