震災1年-やまがたの避難者[2] 家計と仕事
2012年03月12日
Tweet
![]() 避難したことを後悔してはいない。子どもたちが外で元気に遊ぶ姿を見られることが何よりだ。ただ「二重生活はつらい」。6年前に新築した自宅のローン返済はこの先20年以上続く。光熱費を抑えるため、風呂は1日おき。台所でもほとんどお湯は使わず両手は霜焼けになった。幼稚園費は市立から私立に変わり5倍の約3万円に。外食もせず、福島の夫も好きな晩酌を控えている。 ![]()
「二重生活は本当に厳しい」と語る佐藤孝子さん(仮名)。節約のため、台所でほとんどお湯を使わない=山形市
避難した人たちは山形で働き口を探しているが、なかなか条件に合う仕事が見つからない。福島県南相馬市から避難してきた男性(51)は、嘱託の職を得たが「以前は管理職だったので、収入はかなり減った。いつまで働けるのか…」と漏らす。 「勇気振り絞って言ったよ、首にしてくださいって」。福島県浪江町から米沢市に避難した高橋賢さん(39)は2月、7年勤めた漁業用品販売会社を“解雇”された。事業所は被災し、休業中。雇用保険の特例給付を受けてほそぼそと暮らしてきたが、給付期限は3月10日までとされていた。生活するため、次の仕事を探すためには、実際に退職して失業手当の給付を受けるしかなかった。 古里は津波に遭い、原発事故で警戒区域になった。妻(33)、長男(5)と雇用促進住宅に身を寄せている。臨時職の妻と合わせても収入は以前のほぼ半分。東電からの仮払金は両親と祖母の生活資金とし、賠償金はまだ請求していない。 「好きな仕事だったよ。港を歩き、漁に使う網を直して、漁師と仲良くなって」。すぐに帰れる気がしていた。仕事も再開できると思っていたが、期待通りには進まなかった。避難生活が長引く中、「この時間の使い方で今後の人生が決まる」と心を決めた。 退職手続きをした翌日、公共職業安定所から電話が鳴った。「退職しなくて大丈夫です」。3月2日、政府は特例給付期間の延長を閣議決定した。「もう少し早く決まっていれば…」「もう訳が分からないよ」。「あの日」からずっとだ。国の対応に翻弄(ほんろう)され続けている。 (「やまがたの避難者」取材班) 雇用保険の特例措置 震災、原発事故で事業所が休業を余儀なくされた場合、従業員は実際に離職していなくても失業手当を受給できる。給付額は賃金日額の約50~80%、期間は90~330日で、年齢や加入期間などで異なり、最大120日の延長が認められた。当初3月10日とされた給付期限は7日の政令改正で9月30日まで延長された。求職活動中の離職者を対象に、被害が大きい地域や原発事故の避難区域などに限って、さらに90日間の延長も行われている。
東日本大震災 記事一覧
|
文字サイズ変更
山形新聞からお知らせ
|