宮城・南三陸町でポカポカ「魚竜の湯」 新庄の企業がボイラーなど提供
2011年04月03日
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ボイラーの火加減をチェックする光山昌浩さん(左)=宮城県南三陸町・歌津中学校
公益社団法人CIVIC FORCEが仮設の建物と風呂を設置。新庄市に本社がある固形燃料製造会社バイオソリッドエナジー(光山昌浩社長)がボイラーと燃料を提供した。「町を通じて自衛隊と交渉し、毎日10トンの水を補給してもらえることになった。お湯が出る蛇口も付けて髪と体を洗いやすいようにした」。光山社長(46)は話す。 使用するのは下水処理場から出る汚泥を乾燥させて作った固形燃料。「石油を使わないので環境に優しい。がれきでも沸かせる」と光山社長。3月14日、宮城県災害対策本部からボイラー提供の要請があり、南三陸町のベイサイドアリーナに運んだが、同施設には自衛隊の風呂があることから、歌津中に移設した。 仮設風呂の名称は「魚竜の湯」。近くで化石が発掘されたことにちなんで命名した。午後1時すぎ、お湯を沸かす準備をしていたスタッフのところに10人近い子供たちが集まってきた。入り口のベニヤ板にみんなで温泉名と絵を描こう。「未来の画伯」が黄色や青、黒のフェルトペンで思い思いに「魚竜」を表現していく。 「この前、山形の赤倉温泉に行ってきたんだよ」。小学5年の阿部郁哉君(10)は笑顔を見せる。「久しぶりの風呂で髪の毛を5回も洗っちゃった。体も5回。これから毎日入れるかな」。小学2年・三浦百々香(ももか)ちゃん(8)は「家は津波で壊れたんだ。お風呂も流されちゃった。きょうからお母さんと毎日一緒に入りたい」とうれしそう。 横山あかりさん(37)は2人の息子と脱衣所で順番待ちをしていた。震災当時は、学校から走って帰ってきた長男と次男を連れて車で高台に避難した。家は海のすぐそばにあった。「大きな揺れの後、波の動きを観察すると見る見るうちに国道に海水が押し寄せてきた。逃げるのに必死で後ろを振り返る余裕なんてなかった」。息子たちと水鉄砲で遊んだ思い出のお風呂も、家族でにぎやかに過ごした家も津波とともに流された。 阿部登資郎さん(58)は「悲惨な思いをした後のお風呂は格別。本当にいいお湯をありがとう」。阿部スツエさん(75)は「家を建てた時、家族で入ろうと大きめの浴槽にしたが、津波で全部流された。生活のめどが立たず不安だが、また家族みんなで入れるお風呂を目標に頑張りたい」と言う。 自分たちで名付け、看板も描き、掃除も手伝った。再起に向けた僕たち私たちのお風呂。「避難者たちがここを必要としている限り、ポカポカのお湯を提供し続けたい」。子供たちの笑顔に囲まれ、光山社長は心に決めた。 東日本大震災 記事一覧
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