紙齢絶やさず「使命」に全力 震災伝える山形新聞
2011年03月28日
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自家発電の中、取材対策本部で編集方針を確認する編集局員=11日午後8時14分、山形市・山形メディアタワー
全ての記者を非常招集し、前線拠点となった仙台支社をはじめ、県内各支社も情報の収集を始めた。編集フロアでは、各地の記者から寄せられた情報がホワイトボードに書き出されていく。次第に明らかになる被害の全容に、誰もが戦慄(せんりつ)した。 停電が長引きそうだとの観測に、集まった情報をどう発信するかが課題として浮かび上がった。ツイッターで発信は続けたが、問題は12日付朝刊。輪転機がある制作センターはその日の夕刊が刷り終わった4分後に、停電により全ての機能が失われていた。 山形新聞は1995年12月、新潟日報との間で印刷代行を含む災害時援助協定を結んだ。11日午後4時ごろ、4ページ構成で朝刊5万部の印刷を同社に依頼。さらに交渉を重ねた結果、8ページ構成で20万部を刷ってもらうことに決まった。「新潟日報が刷ってくれるぞ」「20万部を確保」-。編集フロアに安堵(あんど)感が広がった。 どのようにして新潟までデータを送るか。技術的な問題は検討を重ねていた「記事画像交換システム」を活用することで解決した。共同通信と新潟、山形の3者でテストを重ねたばかりだったという幸運も重なった。このシステムで新潟に紙面データを送り、山形新聞朝刊「第45160号」を印刷。朝刊は大型トラック4台で本社制作センターまで搬送、販売店を通じて各家庭に届けられた。 12日付夕刊も新潟に印刷を依頼した。4ページ構成で10万部。停電の中、一夜を過ごした住民の表情を盛り込んだ。刷り上がった紙面は県境の小国町まで届けられ、本紙スタッフに渡された。一方、制作センターの電源も同日午前に復旧。テストを重ね、急きょ10万部をカラーで印刷した。 朝刊16ページ、夕刊4ページの震災特別紙面が続いている。震災報道に全力を挙げると同時に、早く印刷し、早く確実に読者の下に届けることを主眼にしているからだ。記者を連日、岩手、宮城、福島の被災地に派遣。仙台支社と連携しながらの取材を重ねている。県内で取り組んでいる避難者の支援、交通状況などを網羅した生活関連情報を掲載し、山形、米沢両市などの主要な避難所にも本紙を配布している。 さらに、山形放送、山新放送愛の事業団とともに、いち早く被災者支援の義援金受け付けを開始。善意は累計で3億円を超えている。 女性読者から次のような声が手紙で寄せられた。「3月12日の朝刊、山形新聞に涙が流れてたまりませんでした。余震の続く中、徹夜で配達までこぎ着けた皆さんの報道人魂に頭が下がります」。新聞はニュースとともに、震災の中でも変わらぬ日常を届けることができる。「地元の読者に自分たちの新聞を届ける」。その使命感で、山形新聞は発行を続けている。 国内観測史上最大となるマグニチュード(M)9.0を記録した東日本大震災。宮城県をはじめ、広い範囲で大きな揺れが確認され、沿岸各地は津波で壊滅的な被害を受けた。本県でも地震直後から大規模な停電に見舞われ、山形新聞は創刊以来途絶えたことがなかった本紙発行の危機を迎えた。災害時援助協定を結ぶ新潟日報(新潟県)の協力で紙齢を絶やさずに済んだが、現在も震災特別紙面とするなど予断を許さない状況が続いている。 ■被災地ルポ、生活情報など詳しく 山形新聞の震災特別紙面では連日、本紙記者による被災地ルポを展開。大震災発生直後からこれまで、地震や津波により壊滅的な被害を受けた宮城、岩手、福島の被災地に延べ30人を超す記者やカメラマンを送り込み、現地の惨状や被災者の深い悲しみをつぶさに伝えてきた。 また、そうした状況の中でも、励まし合いながら必死に生きようとする被災者の姿や、不眠不休で救援活動に当たる本県の救援隊、ボランティアの活動、さらには本県に避難してきた被災者と、そうした人々を支える県民の様子にもスポットを当て、ルポを交え詳報している。 一方、県民はもちろん、県内の避難所に身を寄せる被災者たちが必要とする生活関連情報を1つのコーナーにまとめて掲載。食料や日用品、燃料などの動向だけでなく、鉄道、バス、航空の交通ダイヤ、安否確認、避難者への支援に関する情報などをホームページと同時掲載で詳しく紹介している。 特別紙面への反響は大きく、元教員の田中勝男さん(73)=長井市五十川=からは「生活関連情報は、さすが山新と思わせるもので助かっている。地方紙としての使命感に満ちた情報提供、県民の生活に立脚した視点での記事に感謝する」との声を寄せていただいた。 東日本大震災 記事一覧
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