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酒田大火40年~つなぐ記憶

酒田大火40年~つなぐ記憶(2) 力尽くし住民が共助

2016/10/29 09:51
酒田大火で焼失した区域の図。炎が拡大する中、多くの市民がそれぞれの役割に力を尽くした。29日から酒田市立資料館で展示される

 大火当夜、被害拡大を防ぐため、避難者のために走り回った住民は、アマチュア無線の有志ばかりではない。都市ガスを供給する酒田天然ガス(酒田市)の芝田修常務(63)は、ガス漏れによる二次災害を回避すべく、ガス供給を止める作業に奔走した。

■建物を片っ端から

 入社5年目の23歳。午後6時のニュースで火災を知り、旧八幡町の自宅から車で酒田市街地に向かった。渋滞で思うように進まない。国道7号のこ線橋から市中心部に目をやると、その一帯だけ空が真っ赤に染まっていた。「大変なことが起きている」

 会社に着いた同7時すぎ、2人一組で市街地へ飛び出す。当時は区域ごとにガス供給を遮断できる仕組みがなく、建物それぞれのバルブを閉めるしかない。中心部の店舗、住宅は大半が顧客。1軒、また1軒と片っ端から当たった。

 炎から一定程度距離がある場所での作業が中心だったが、頭上をこぶし大の“火の玉”が飛び交い、燃え落ちる建物の熱風にあおられる場面もあった。「まさかここまでこないだろう」と作業していた場所も炎にのまれていった。

 翌30日午前1時ごろ一度会社に戻ったものの、再び街でガスの圧力を下げる作業や、ガス管を切ってはふさぐ作業に従事。翌朝からは県内外から駆け付けたガス事業者の応援を得た。被災地への全てのガス供給が止まったのは11月1日午後3時半だった。

 現在は大規模被害が想定される地震を念頭に▽市内45区画ごとにガスを遮断できる仕組み▽ガス管主要幹線の圧力と供給量を常時監視できるシステム―などを構築。社内や市主催での訓練を重ね、震度4以上で全員出社の基準も明確化した。

 危機管理態勢は格段に向上したが、同社最後の大火経験者となった芝田常務は備えと訓練の重要性を強調する。「全ての災害を防げない以上、起きたらいかに被害を最小限に抑えるかが重要。準備と覚悟が必要だ」

■ともり続けた街灯

 酒田大火は焼損棟数が1774棟にも上ったが、一般市民の死者はいなかった。その背景の一つに、停電範囲を被災区域に抑えられたことがある。東北電力の職員が延焼するぎりぎりまで街中の開閉器に張り付き、送電切り替え操作を行ったからだ。市民は刻々と変わる状況をテレビで把握でき、避難の準備と移動も明かりの下でできた。ともり続けた街灯は、芝田常務らの作業も支えた。

 市が発行した記録集「酒田市大火の記録と復興への道」や同社の社内資料に、この様子が記されている。

 被災者、消防隊員・団員のために炊き出しを行った人、親戚・友人を案じて助けに入った人も数え切れない。自分にできることを全力でやり遂げる多くの住民の共助の姿が、あの夜、真っ赤に染まった空の下にあった。

 延焼中、酒田測候所で観測した最大瞬間風速は26.7メートルだったが、他機関では30メートル超の観測データも残る。強風にあおられ、1時間に100メートル以上燃え進んだ時間帯もあった。風向きは途中で西南西から北西に変わり、延焼エリアも移動。「吹雪のように“火の玉”が飛ぶ」様子が目撃された。

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