原爆は、人間の命の否定だった

鶴岡市 三浦恒祺さん

 三浦さんは旧制中学2年の時、広島で被爆。爆心地から数キロ離れた陸軍工場で事務所の疎開作業に当たっていた。きのこ雲が膨れ上がる市街地に向かい、焼けただれた手を差し出す人たちをかきわけるようにして自宅に向かった。家族は全員無事だった。終戦とともに両親の実家がある鶴岡に移り、1961年に初めて原爆を題材にした油彩画「原爆の形象1」を創作。生命を全否定する原爆と人物を一緒に描くことはできないと語っていた。

(2001年8月14日付朝刊、当時71歳)

2020/8/6 08:20
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