「先生、写真を撮って」

細い澄んだ声をぼくは一生忘れることができないだろう

写真家 土門拳

 1957年、初めて広島に入った土門(酒田市出身)は、原爆が投下された街を取材した。翌年発表の写真集「ヒロシマ」には、白血病で亡くなった男の子の写真が複数枚、載っている。梶山健二君、享年12。5カ月の胎児で被爆した。原爆病院の病室で土門は「記念写真を撮りたい」とうそを言ったが、少年は目を離さない。「その目は、死という絶対の宿命を宿して、澄明鮮烈なきびしさ」で注がれた。撮影の2日後、少年は息を引き取った。

(2009年8月11日付朝刊)

2020/7/31 07:49
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