ぼくの原点は戦争体験。迷った時はいつも敗戦に立ち戻った

映画監督 恩地日出夫さん

 「わらびのこう 蕨野行」「伊豆の踊子」などを手掛けた恩地さんは1945年9月から1年間、家族とともに高瀬村(現山形市)で暮らした。土蔵にランプが一つ。板張りの上にござを敷き、母は着物などと交換して食料を調達した。軍国主義が全てだったはずが、自由主義を賛美する大人たちの裏切り―。価値基準が崩された敗戦体験は、映画づくりの原点になったという。山形での生活が感性や感覚の面でその原点を支えた。

(2008年8月11日付朝刊、当時75歳)

2020/7/17 08:53
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戦後75年、言葉を刻む
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