ここは自分たちにとって戦場だ

朝日町 志藤喜一さん

 志藤さんは1941年、朝日町の桑畑を開墾し、棚田造成に従事した。深刻な食糧不足の打開を目指し、徴兵されなかった子どもやお年寄りが作業に当たった。つらいと愚痴を言うと殴られ、反抗的な人は懲罰を受けた。つるはしを銃剣に見立て、土を敵と思って連日耕した。完了前に戦争は終わったが、約14ヘクタールの棚田ができ、46年から作付けが始まった。この「椹平の棚田」は1999年、日本の棚田百選に選ばれた。

(2014年8月16日付朝刊、当時83歳)

2020/7/16 08:00
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戦後75年、言葉を刻む
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