百姓が恋しくなりました

大蔵村 成沢潤子さんの父

 潤子さんの父文雄さんは1937年に出征、潤子さんが生まれた年の翌43年に再召集され、西部ニューギニアで戦死した。終戦から10年後、たんすの中に、出征先から差し出された父の手紙を見つけた。「今は稲刈りも終(おわ)り取り入れに忙殺されて居る事でしょう」「お前も苦労しているだろう」「潤子は元気か。可愛(かわい)くなっただろう」…。3歳で終戦を迎え、記憶のなかった父の家族を思う心に触れた。

(2007年8月14日付朝刊、潤子さんは掲載時65歳)

2020/7/15 07:19
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戦後75年、言葉を刻む
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