これで、悲惨な目に遭う人たちがいなくなるんだ

山形市 石山恵子さん

 石山さんは戦争末期、秋田赤十字病院で負傷兵の看護に当たっていた。防空壕(ごう)の中の野戦病院で、負傷兵はベッドに横たわり、うつろな目で「リンゴが食べたい」とつぶやいた。翌日の1945年8月15日、白い布に包まれて運び出された。戦局の悪化で薬やガーゼなどの医療品は不足し、十分な治療を受けられず、多くの兵士が命を落とした。玉音放送は病院の講堂で聴いた。戦争に負けたという気持ちより、安堵(あんど)感の方が強かった。

(2007年8月15日付、当時79歳)

2020/7/6 07:28
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戦後75年、言葉を刻む
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