捨てられた民

山形市 笹原キヌコさん

 笹原さんは1941年、一家8人で中国黒竜江省に開拓団として渡った。帰国を目指した終戦後の逃避行は過酷を極めた。強盗に襲われ、道の両側に身ぐるみをはがされた遺体が並んだ。たどり着いた難民収容所でも苦難は続き、飢えと寒さで家族を次々と失った。生き残ったきょうだい3人も離散。笹原さんは八路軍に従軍し、中国人と結婚した。戦後35年でようやく帰国を果たしたが、日本語を忘れたために差別を受けた。そうした体験を振り返り、笹原さんは掲出の言葉を口にした。

(2007年8月10日付朝刊、当時74歳)

2020/7/1 08:39
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戦後75年、言葉を刻む
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