土をかけてやることもできなかった

白鷹町 鈴木又雄さん

 鈴木さんは、山形県の若者を中心に編成された「もや部隊」に配属された。フィリピン・ルソン島の宿営地に1945年4月5日の早朝、ごう音が響いた。塹壕(ざんごう)に身を潜め、必死に応戦した。交戦開始から12時間後に撤収命令が出た。別の拠点に移動するまでの間、何度も敵に見つかり、砲撃を受けた。同郷の仲間たちは次々と倒れ、収容することもできなかった。所属した中隊で生き残ったのは50人ほど。45年9月に敗戦を知った。

(2006年8月12日付朝刊、当時83歳)

2020/6/18 08:01
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戦後75年、言葉を刻む
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