これからも私は罪を背負うのか

 南陽市 山田多磨子さん

 山田さんは軍人だった夫弥七郎さんと23歳で結婚、間もなく朝鮮赴任となり、一緒に暮らした。夫は1944年暮れに出征し、2人の子どもを連れて日本に引き揚げた。終戦から2年後、フィリピン・ルソン島で戦死と知らされた。夫が託した「頼む」の言葉を胸に子どもを育てた。山田さんの誕生日は8月15日。終戦以降、祝ったことがない。戦禍に散った命に黙とうをささげ、戦争のむなしさをかみしめる特別な日となった。

(2002年8月15日付朝刊、当時85歳)

2020/6/9 07:53
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戦後75年、言葉を刻む
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